♪ 道草を食ってるうちに日が暮れる一匹羊の晩年やよし
ウォーキングをしていてつくづく思うことがある。ウォーキングの前はジョギングをやっていた。それまでは車で移動するのが当たり前で、そんなまだるっこいことをする気にもならなかった。でも、やるようになって価値観が一変した。
車から解放されて心身が自由になり、それまでなかった発見や気づきがあって面白く、ウォーキングが主な移動手段となってしまった。ランニングからウォーキングにシフトダウンした時、その遅さに最初は戸惑ったものの慣れると、その良さが分かってきた。それまで以上に余裕が生まれ、細部に目が行くようにもなった。
哲学者や研究者でもないので思索しながら歩くことはしなく、まったく何も考えずに歩いている。心身ともに楽になれば余裕が生まれ、思いがけない閃きに喜ぶこともある。
無の状態で歩いていると、昨日のブログの様に目に入って来るものが新鮮で、スーッと興味に引き寄せられていく。
車では行けないところへも行くし、近くを見つめ遠くを眺めし、車で移動している時にはありえない突発行動が、その楽しさを倍加させる。
コロンブスの卵的な発見は、心に余裕がなければ生まれない。“遊び” の無いハンドルは運転しにくいし、階段に “踊り場” が無ければ疲れてしまう。
効率優先は一部の価値観には有効かもしれないが、逆に何かを失っていく気がしてならない。
経済が減速し、価値観が変わりつつある。高速で移動することの必要性は薄れてきているのではないか。人口は減りAIが仕事をし、リモートワークも進むだろう。メタバースが世の中を変える可能性もある。人間自身が高速で移動する必要性はどんどん減って、“時間を金で買う” 時代は去りつつあるのではないだろうか。
もはやリニア新幹線は無用の長物で、無理して作ったところで “コンコルドの二の舞になるのがオチ” のような気がしてならない。「コンコルド効果」なる言葉まで生まれているこの前例を知りながら、まだ開発を続けるのだろうか?
★コンコルド効果
投資継続で損失が出ると分かっていながら、投資分を惜しみ、つい継続してしまう心理的傾向のこと。
ギャンブルでも同じで、返ってくる見込みが低いにもかかわらず、「これまで使った分を取り返そう」と躍起になってサンクコスト(何をしても回収することのできない費用)を生み出してしまう。
課金要素のあるゲームも「恋愛」や「事業」も同様に当てはまるというもの。
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* ウクライナ応援の思いを込めて、背景を国旗の色にしています。