♪ 陶芸の土のごとしもいじくればいじくるほどに遠ざかりゆく猫
久しぶりのお湿りだ。昨日のウォーキングは前回とは打って変わって曇りがちの空。夕方4時過ぎの空はどんよりとして表情がないものの、雲の切れ目があり遠くの空に色づいた雲が見え、多少の変化を見せている。
いつもの様に秋葉神社の階段を駆け上がる。なんとか120段をクリアできた。
朝日を眺める場所へとりあえず行ってみる。夕日に染まった雲が色を添えて、なんとなくバルビゾン派の絵のような風景が広がっていた。
絵ならば省いて描ける真ん中の木が邪魔だが仕方がない。不要なものを消してしまえるというスマホの宣伝があったが、そんな高級なものは買えない。
神社の階段を降りると、目の前のマンションの窓に猫の姿があった。窓にいる猫というのは何故か興味をそそられる。絵にもなってなかなかいいので、ついつい撮ってしまう。
かなり距離が有るので手を振っても何の反応も示さない。
犬がいても何とも思わないが、猫がいるとその背景まで想像したりする。存在そのものがドラマを内包していて、猫好きにはその姿が意味ありげに見えてしまっているのかもしれない。
ただ外を眺めているだけなのだろうが、猫の不思議な行動を知っている人にはそうは思えない何かを感じさせるのだ。
変だと言われるかもしれないが、この陶芸家の言っている “土のこと” が猫と重なって来るのです。こちらで思っているようには絶対にならないし、なだめすかしてもすぐに裏切られる。猫には人間に合わせる気などないので、こちらが向こうに合わせるしかない。
「辻村史朗」
1947年、奈良県御所に生まれる。師を持たず、独学で焼き物作りを始め、奈良水間の山中に土地を購入。2ヶ月かけ、自力で家を建築。自宅周辺に次々と自力で窯を建築。窯の数は全部で7つ。リヤカーの車輪を利用して、自力でロクロを作り、お茶碗や花入れなどを作るようになっていく。作った焼物を路上で販売し生計を建てる。
「小屋を造ることも、絵を描くことも、焼物をすることも、 売りにゆくことも、自分にとっては同じ一つのことなのです。」
焼物を焼けば、日本の歴史上比類なき作陶家の一人であることは広く知られている。油絵も、画家を自称する多くの人たちよりも、はるかに沢山の絵を描き、どの書家よりも多くの墨と紙を使う。30歳を前に自ら建てた寺の廃材を利用した家は、世界中の建築家が見学に訪れるほど人々に愛されている。近所の肉屋で自ら目利きした肉を焼けば、世界の一流料理人たちが目を丸くする。
自然釉丸壷(大)」 径44×高さ43cm 勲章や人間国宝といった名声にも興味はなく、師匠もいなければ、弟子もいない。二人の息子である唯(長男)と塊(次男)が父の姿をみながら学んだだけである。例外として、細川護煕は押しかけで辻村からロクロを学んだ。昨日よりも良いものを作りたい。そんな思いが辻村を突き動かしている。
今では、奈良の大自然の中で、日々物づくりと向き合っている。
Art Fair Tokyo 2020では、過去最大規模のブースを用意し、50年に渡る作陶を振り返り、辻村史朗本人が選んだ「辻村史朗選 50盌」を開催予定でしたが、新型コロナウィルスにより中止(展覧会は延期)となっている。(かみ屋より)
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