♪ 公園に子どもの声のなき日々に野鳥の声さえ聞けぬさびしさ
先日行ったイタリアンの店は古い日本家屋を改装した、ちょっと変わった今風の店。入り口からして和そのもの。
そこそこ立派なお庭があって、夜はライトを灯して雰囲気を出しているらしい。敷地内には華翠とかいうジュエリーの店とか学習塾かなんかも併設しているようだが、そんな余分なものはない方が良い。
和風の部屋にじゅうたんを敷きつめ、靴のまま上がれるようになっている。明治の初めに西洋かぶれした政府の面々が、会合などをしている場面を想像する。トイレに立ったついでに廊下を歩いてみた。
天井の設えが我が家のものによく似ている。天井はいわゆる「踏み天井」で太い梁がむき出しになっている。スタッフに聞いてみた。
「この天井は我が家のものとよく似ているのですが、昭和初期の建物ですか?」「踏み天井になっているようですが」
「そうです、その通りです。この場所は天井を上げてあります」
「そうか、やっぱりね」
現代のもの(国産材の家づくりより)
1階の天井と2階の床を兼ねている「踏み天井」は、天井がシンプルになり建物の高さを低くすることが出来る。最近はこの「踏み天井」の家を希望する人が増えてきているとか。2階の音が下に漏れるので嫌われてきたが、例えば子供の声が聞こえたりする方が自然だし安全だという考えに変わってきている。
新しい建築基準が、気密性や省エネなどを優先する本来の人間の持つ感受性とか感性を蔑ろにしてしまっている。
風の音や雨音、外を通る人の気配、雪の積もった日の静寂、野鳥のさえずり、汽笛の音、さまざまな情緒的な音をすべて遮断した生活なんて牢獄と同じじゃないか。工夫と耐えることがセットになってようやく手に入れられるものだけに、生まれた時から防音と気密性の完備した家に育てばそんな情感を味わうことも、その意味も分からない。
ぎすぎすした疑似的なものに囲まれ、本当のものを知らない無気質な生活が豊かな人間性をはぐくめるはずがない。
8畳が4部屋、いわゆる「田の字」になっていて、今回はその2部屋を使っての正月恒例の食事会。床の間とその横には(多分元は押し入れだったのだろう)1間の空間に豪華な生け花が飾られている。
見取り図を見ると、個室が2部屋、カウンターまである。右半分が大きく改造され洋風になっている。天井を上げ、高くすることで部屋を広く見せている。
今回で3度目になるが、諸物価値上がりのためかかなり値段が上がっている。ランチメニューは3,850円と5,500円があり、大人は5,500円のもの、子供はその半分のものがあったのでそれにした。たっぷり時間をかけて出て来るので小さい子供は間が持たない。それでもみんな大人しく、楽しく食べていた。
どこぞの一族は、めいめいが今年の目標とか抱負を発表したりするのでしょうが、そんな堅苦しいことは一切無しの2時間半ほどの美味しいイタリアンを楽しんだ。今回は量がちょっと物足りなかった。以前は夜だったせいか、十分に満腹した記憶があるのだが・・。
今年も元気に頑張りましょう!
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