♪ また一つ歴史を残し新玉の年輪でーんと光をあびる
昨日、今シーズン初めてエサ台にメジロがやって来た。ずいぶん遅かった。そう思いつつ去年はどうだったか確認すると、1月17日に初めてやって来たことが、この日記ブログに書かれている。そうだったのだ。最近は来るのが遅いのも確かだろうが、環境がまったく変わってしまったので戸惑っているのだろう。
周辺もどんどん変わっているし、自然がどんどん減っている。順応する間もなくかわってしまうのでどこへ行ったらいいのか分からなくなってる?
最初は1羽が、数日前に置いて表面が乾いてしまったミカンを啄んでいた。飛び去ったあと、新しいのと交換してやったらすぐに、今度は2羽が一緒にやって来た。たぶん番だろう。
この殺風景な庭の唯一の楽しい来客だ。他の鳥も来てほしいが、来たくなる要素がまったく無いので期待は薄い。パーゴラの上部に蔓性の植物を這わせ、それなりの緑が覆ってくれば多少はイメージが変わるだろうか。
こんな何気ないことが日常の愉しみになる。
あの「よしもと・ばななさん」も最近の本(「私と街たち(ほぼ自伝)」)に「毎日が蜜だ。生きているだけで丸儲けだ。今日が来るのが嬉しい、目を覚ませるのが楽しい。だいたいの人がみな愛おしい」と書いていて、結局、幸せって、生活の中にあるんだと。掃除したり、ごはんをつくったり、洗濯したり。そのことじたいが、幸せなことだったということに気づく。みんな年を取っていき、いつかだんだん生活が出来なくなってくる。
自分で着替えられ、瓶の二が開けられて。もうそれだけで幸せなことなんだと。きちんと、生活することがいちばんだって。
小説は売れなくなってきている。連載を本にしたいと出版社に相談して、断られたこともある。いくら文学賞をとっても、海外で翻訳が出て評価されても、そうだと。書く場所は必ずあるので、本当に書きたいことだけを書いていくつもりとか。
家族がよりどころって、昔ははなしたけど、いまは趣味で、毎日会ってるという。
おカネは、勿論全くないのは困るけれど・・。最近の若者を見ていると、それぞれのコミュニティーをよりどころにして、上手に暮らしている。そういう時代なんだと。
あくせくしない。自分に合ったスタンスで地に足を着けて、じっくりと生きていく。個人が消費されて、疲弊してゆく風潮に異を唱え、成長を目指すん「じゃない」株式会社が立ち上ったり。新しい方向性と価値観、手法も手順も今までにないアプローチで肩ひじ張らずに、ふわっと実現していく。
今朝も早速やって来たので、窓越しに。猫ガードを設置してあるので、アランが飛びつくのは避けられると思うが・・・。
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