♪ あからひく朝のひと言「おはようちゃん」猫には親身なあいさつをする
朝は無言のまま始まる我が家だが、猫が起きてくればねんごろに声を掛ける。それがその日の最初の言葉だったりする。二人とも動物が好きなので、我が家の猫は、幸せな日々を過ごせているはずだ。
足の指の間をケガしてびっこを引いていたが、若いだけに急速に良くなったようだ。昨日あたりからびっこを引かなくなって、猫共々にホッとしている。
私はそれほどでもないが、カミさんは猫に対する態度が度を越えている。頭の中に猫を住まわせているか、あるいは脳を占拠されているんじゃないかと思うほど、四六時中アランのことを考えている。
姿が見えなければ「どこで寝ている?」と気になってしょうがないし、外に出かけたままなかな帰って来ないと、これまた心配でしょうがない。今回みたいにケガでもすると、そりゃあもう我が子の事のように気になっている。
オシッコは家の中の猫用砂場でするが、ウンチをしている形跡がない。外でしているならいいが一体どこでしているのだろうか、喧嘩の相手に襲われたりしないかと、いらん詮索をし、勝手に悪いイメージを膨らませては心配している。
心配するために飼っているんじゃないかとさえ思えてくる。“他に考えることないのか? 脳が暇なのか?” なんて意地の悪いことを思ったり・・。
かといってペットロスなんかにはならない。死を受け入れることに対しては案外さばさばしているので、その点は天晴ではある。
カレンダーは毎年必ず猫の写真のものを買ってくる。買うのが遅れていい写真のものが手に入らないようなことが無いように、気を使っているようだ。
まあ、生きものに対するまなざしは私と共通しているので、そういう点では意見が合う。小さな生き物でも「かわいい!!」と声を上げるし、NHK「ダーウィンが来た」なんかも好きな番組で、欠かさず見ている。
NHKの「人体の神秘シリーズ」とか「ヒューマニエンス」が好きなのも、生き物としての人間を観ている。生きものすべてに底通している命の神秘性に触れ、その奥深さを畏敬の念をもって眺めている。微生物や昆虫もしかり、犬や猫も人間と同じ要素を持った仲間たちだ。可愛くないわけがない。
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