10日余りの入院生活
盲腸癌摘出の為、去る11月5日(日曜日)から隣町の某・大学病院に入院し、11月7日の8時から【腹腔鏡】による手術を受けた。 家族の待機が要請されていたので、妻に早朝から出向いて貰い、私が病室を出る所から手術室を出るまで院内の待合室で待機して貰った。 後日、妻に聞いた所、手術時間は当初の予定通り凡そ3時間30分程度だったようだ。 私は病室を出る直前に点滴で予備麻酔を掛けられ、手術室内で吸引マスクを装着された途端、深い眠りに入り記憶が一切無い。 経過時間は全く解らないが、次に目が覚めたのは手術室を出て直ぐの場所らしく『晴れさん、無事終わりましたよ』の声でゆっくりと目を開けると、目の前に妻の顔があって心配そうに覗き込んで来た。私も直ぐに妻を認識したのでストレッチャーの外柵の隙間から手を伸ばして妻の手を握りしめたが、直ぐにストレッチャーが動き出し感傷に浸る暇もなくICUヘ担ぎ込まれた。 全身麻酔の影響か、そこからの記憶は曖昧で朦朧・混沌とした夢を見ていた。時々眠りが浅くなって、夢と現実が交差して自分でも夢と現実の区別がつかないで混沌としていた。 例えば、夢の中でお茶を飲もうと手を伸ばして茶碗を掴もうとした時には、実際に自分の手が伸びて宙をまさぐっても掴めない事が不思議で納得が行かなかった。そんなシーンを何度か繰り返している内に段々意識が戻って、自分が今ICUに入る事がハッキリと認識できるようなった。そうなると、今度はICUの慌ただしさが気になって目玉だけを動かして周りの様子を観察していた。 二年前に心臓バイパスのステント留置処置の直後もICUに一泊した経験があったので、室内の様子は大体頭に入っていた。目玉だけを動かして右や左の様子を伺ったが、スタッフや医師が慌ただしく行き交っていてとても忙しそうだった。 少し慣れて来て寝返りを打とうとしたら臍周辺の腹筋が引きつって激痛に襲われ、『イテテテ、イテーー!!』『あっ、声が出ちゃった』(公文式学習塾のTVCM・BY 木村佳乃)素早く看護師が寄って来て『どうなさいましたか?』と聞いてきたが、『腹筋が激しく痛い』と答えるのが精一杯だった。『痛むのは手術の傷跡なので、暫くは痛みがあります。なるべく動かないようにジッとしていて下さい。』と言って立ち去ってしまった。此方としては、長時間同じ体勢で寝ていると【床ずれ】の恐れがあるし、動かずに同じ姿勢を保つのは拷問に近いものを感じていた。 昼近くになって痛み止めが処方され、ストレッチャーに乗せられて病棟の個室に移された。ストレッチャーからベッドへの移動時にはちょっと動く度に腹筋に激痛が走り、それは『大騒ぎ』だった。前夜は一晩中救急車の搬入が続き、ICUにも患者が運ばれて来てその都度ザワつくし、患者の中には看護師に大声で文句を言っている者もいたり、医師が患者の名前を大声で呼び掛けたりと、兎に角一晩中騒がしくてウトウトするのが精一杯だった。 病棟の個室に入った事で安心感に満たされ熟睡に落ちたが、この時も朦朧として夢と現実が頻繁に交差して物を掴もうとしては空振りするのを繰り返していた。自覚的には右手でキッチリ掴みに行っているのに、どうしても掴めないもどかしさで、フト、我に返り手先を握りしめて感覚の確認をしている内に、『これが【朦朧】って事なのか』と認識するようになった、その後も腹筋を使うような動作をすると激痛が走り、時と場合によっては大声で『イテテテテテ-』と叫ぶシーンもあった。その頃から看護師が頻繁に見回りに来てくれ、体勢を動かす時には数人掛かりで私の体を支えてくれたり、介助をしてくれたので声が出るような激痛は減少した。 術跡を確認しに来た看護師に聞いたら、【腹腔鏡】の穴は計5か所あるそうで、術跡周辺を指で軽く押さえ、場所を教えてくれた。一番痛んだのは臍の上下部と臍下の三か所で、何れも腹筋に力が入った時に引きちぎられるような激痛に襲われたが、それ以外の傷口に痛みは無く、激痛の原因は『きっと、腹筋を断裂された事によるものだろう』と推察・納得していた。その内、痛み止めが数時間置きに処方されたので、激痛の回数は徐々に減り救われた思いになった。その後、医者がやって来て『盲腸と上行結腸の一部を切除しましたが、傷口の回復状態を確認してから食事を摂って貰います。腸の動きを活発化させる為にも少しづつ、無理をしない範囲でなるべく歩いて下さい。』との指示が出された。 その後、医者や看護師たちが巡回の度に『オナラは出ましたか?』と聞いて来る。 そう言えば、小学校高学年時代に同級生が【盲腸】(今は、虫垂と言う)の手術を受けた時、医者から『オナラが出たら退院』と言われ、『オナラが出たので退院させてくれた』と言っていたのを思い出した。 手術二日前の夜から術後二日間は絶食で点滴だけだもの、オナラも出なきゃ便意も催さないでいたが、術後三日目の朝にガス放出があり、巡回して来た医師に伝えると『それでは昼食から食事を摂って貰います。最初は“重湯”から慣らして行きます。』との事で、丸四日間の絶食の後、ようやく胃に食物を入れる事ができた。この間も点滴の所為か、空腹感は全く感じなかったが、食事の許可が出た途端初めて空腹感を味った。 入院中の12日間は色々な出来事があって、ここに書き出せるものではないが、結論的に言うと大学病院と言うのは基本的に研究機関なので、総じて患者優先ではなく、医師も看護師も、言わば“見習い”が経験を積む為に日常を動かしているので、もの足りなさや不安を感じる事が多いものだった。 君たちの経験の為に私の生体を提供したのだから、医師も看護師もみんな患者を思いやる立派な一人前になってくれよな。 取り合えず、退院速報として記述させて頂きました。ご心配頂きました皆様方には心より御礼申し上げます。私は、【憎まれっ子世に憚る】の典型で、簡単には死にません。一部の人の期待を裏切り続けて来ています。私の生き方の邪魔をする者は全て跳ね返します。This is MyWay of life!!