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テーマ:子育て現在進行形(1980)
カテゴリ:つぶやきあれこれ
朝日新聞のコラム「ルポ虐待」にはまっています。
先週から子どもを虐待死させたある事件をさかのぼってそのコラムが書かれているのですが、それに対してすごく感じるものが自分の中にあって、「こういう状況を何とかしたい」という気持ちが湧いてくるのですが、反対にこれからこういう事件が絶対に増えるという嫌な確信みたいなものもあって複雑です。 それに虐待で子どもを死なせてしまった母親の気持ちがなんとなくわかるんです。明日は私かも、みたいな気持ちもあるし。 5年前ならこういうニュースを見ながら「何でそんなことするんやろ?」としか思えなかったけれど今は「この母親の心情を世の中の人はどれくらいわかってるのかなー。」とか「このニュースを見て明日は我が身と思ってる母親はどれくらいいるのかなー。」とか「誰かに相談したらっていうけどそう簡単に他人に相談できるもんじゃないし、一般的に常識のある人ほど他人に心配かけるような相談出来へんやろなー。」とかいろいろ考えてしまいます。 大学に通いたいなーと思って色々学部とか調べていて思うけれど、 一般的な保育・教育を学ぶ所はたくさんあるけれど、母親支援とかこれからもっと増えると言われている発達障害のことをしっかり勉強できそうなところはすごく少なくてそのあたりはやっぱり実践と経験のある人に頼るしかない状況という感じがします。 でもそれじゃあ、今悩んでいる母親達は誰が救うのかなーと思います。 私が保育園の先生や保健師さんに桃の発達障害のことをいろいろ聞いても先生や保健師さんもその状況が理解できていない、どう答えたらいいのかわからない、ということを経験してそれは仕方なかったんだと今は思えるけれど、悩みのまっただ中にいる人や自分が育児にのめり込んでしまっていることにすら気づいてない人には、そのあたりにいる人がすごく重要なキーマンだというように思います。 保育師さんにしたって保健師さんにしたって、自分の担当はその子、その親子だけじゃないし抱えている問題は他にもあるだろうけれど、今の世の中で外にも出ていけなくなった母親に入っていけるのはそういうポジションに居る人なのかなーと。 だからこれからの教育とか少子化対策を考えるならそのあたりのケアのことも考えていかないといけないんじゃないかと思います。 これから少子化が問題になった頃に生まれた世代が子育てする世代になるけれど、自分のことだけ一生懸命やっていたらいいという環境で大人になった人たちが果たして子どもを育てるという自分を犠牲にすることができるのか?と考えてしまいます。 何故なら、そのちょっと前に生まれた自分自身が、子育てするためには自分を犠牲にしなくてはならないと感じてすごくしんどいからかもしれません。 あと情報量が多すぎること。 不必要な情報までどんどん入ってくるし、正しくない情報まで企業の戦略でさも正しいことのように入ってくる。 もう昔には戻れないけれど何か今のままじゃどんどん子育てしにくい世の中になっていくような気がしてすごく嫌です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月20日 00時07分10秒
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