|
カテゴリ:桃花のこと
1年生の桃、今日から宿題が始まりました。
ひらがなのプリントで、授業中に習った字を書くというものです。 プリントの表は授業中やってくるので、うらに同じ字を繰り返して書きます。 桃は、まだ自分の名前も書けません。 小さい頃から絵本を読んであげていたし、今も寝る前に桃と蘭に好きな本を1冊づつ、多いときは2冊づつ選ばせてあげて読んでいるので絵本も大好きなのですが、桃はまだ字が読めないし書けません。 私もこれまであえて教えませんでした。 自分で読みたい、書きたいと思ったら放っておいても勝手に覚えるものだと思っていました。 自分の名前を書きたくなったら「教えて。」と言うと思ったし、何となく日常の中で教えることはあってもあえて無理に教えるということに抵抗があったのです。 しかし、いざ学校へ行くとそうも言っていられないという気がしてきました。 字が読み書き出来ないことにはその先へ進めないのです。 でも、ここで問題なのが、自分が親に勉強を教えてもらった記憶がないので「親が子どもに勉強を教える。」という概念が私の中にないのです。抵抗すら感じます。 かろうじて、自分の名前を広告の裏に書きながら教えてもらった記憶はありますが、それも、遊びの延長という感じでした。 桃に覚える気がないのに、無理やり書かせたりしたところでいいことがあるのだろうか?と思ってしまうのです。 普通の子なら親が教えなくても生活の中で覚えていくもののように思います。 でも、桃のように障害がある場合はやはり親が家で教えないことにはとうてい学校の授業についていけません。 普通に考えれば、家で教えたらいいのでしょうが、「勉強はやりたいときにやりたい人がすればいい。」と思っている私はどうしてやる気がないのに無理強いしてやらせないといけないのかという気持ちがあります。 今日初めて宿題を持って帰ってきて、当然一緒にやらなければ出来ないので、私が字を書いた上をなぞって書く、というやり方で一応宿題をしたわけです。 そうやってみて、桃は放っておいたら宿題が出来ないということにあらためて気がつき、「一緒にやらなければいけない」という事実に気がついたわけです。 私は「勉強しなさい。」と言われたことがないかわりに、言うことにもとても抵抗があったので子どもにも言いたくないと思っていました。 でも、桃の場合何も言わずに放っておいたら本当に何もしないのです。 これまで字を教えなかったことは私は間違っていたと思わないし、お陰でその分桃はのびのび成長してきたんじゃないかといいほうに解釈しています。 でも、これからはどうしようかなとちょっと今日は考えました。 最近そんなに心乱れることがなかったのですが、 今朝はGW明けのせいか、機嫌よく起きたのに登校時間になって「行きたくない!」と言ってひと悶着あり、宿題でひと悶着あって、ちょっと反省すべきこともありました。 声を荒げて怒ってしまいましたが、怒らない方法もあったんじゃないかと。 桃も字を書きたいと思っているけれど、書けないのだと思いました。 宿題もやらないならやらないで放っておくという手段があるわけですが、桃の場合はそういう方法ではダメでしょう。 やはり「一緒にやる。」ということになりますが、 一緒にやってもただ宿題をやった、というだけで理解できていないのが悲しいです。 でも、やっぱり無理強いは嫌なので、桃は勉強がさっぱりわからなくても楽しく学校に行って楽しく過ごしてくれたらそれでいいと思います。 それだけで十分です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月25日 17時46分48秒
[桃花のこと] カテゴリの最新記事
|