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テーマ:徒然日記(23334)
カテゴリ:私フーミンのこと
35歳で初めての教育実習。
何とか無事終わりました。 思った以上にハードな3週間でしたが、家族の支えがあり、もう一人の実習生の人にも恵まれ、充実した3週間を過ごすことができました。 時が過ぎれば忘れてしまうと思い、実習日誌には書けないプライベートな記録など残しておこうと思います。 実習期間5月23日(月)~3週間。 教育実習は、自分の出身校ではなく、今住んでいる校区の中学校にお願いしました。 自転車で3分くらいで、これは正解でした。 もう一人の実習生さんは、出身校にお願いしたけど実習希望者が多く市内で調整の結果こちらの中学になったそうで、でもそのお陰で私はとてもよかったです。 「よかった」って漠然としていますが、昨日ふと気が付いたんですが、私の頑張り方ってたまに他の人と歩調が合わなくなるときがあるんですが、この3週間この実習生さんと一緒に実習してて、控え室に二人でいるときもすっごく素で話ができて、動く早さが同じようなところがあり、へんに遠慮する必要もなく、めちゃくちゃ自分のペースで頑張れたんです。 「嫌な気持ちになったりすることがなかったから気が付かなかったけど、この人と一緒でとても私は恵まれていた」と気が付きました。この実習生さん、授業もすごく上手かったし、私と違って冷静沈着で、志が高かったし、希望は小学校らしいのですが、絶対いい先生にならはるなあと思います。 それから家族の協力。 毎日朝7時半過ぎから夜は平均8時くらいまで学校に行ってたんですが、その間家のことと子どものことは全部主人がやってくれました。私は3週間のうち、掃除機2回くらいと、洗い物を食洗機に入れるのを数回やった程度。 洗濯も、買い物も、子どもの学校の用意や連絡帳書き、病院へ連れて行くこと、ぜーんぶやってくれて本当に助かりました。 結婚生活10年、何回離婚したいと思ったかわかりませんが、この時にために離婚はなかったのかと思うくらい助けてもらいました。 今年は採用試験を受けられないし(卒論が間に合わず、1年延長決定)すぐにお金になるような仕事はできないけれど、自分のお金のためというよりは、この経験は社会のために生かすことで還元させてもらわないとバチがあたるなあという気がします。 子どもにも少し寂しい思いをさせたけれど、長女がそれなりにしっかりしてきたのも感じました。 一番大事な国語を教えることですが、教えることがこんなに難しいとは思いませんでした。 2年生の説明文の単元を5時間×2クラスやらせてもらいましたが、これ以上ヒドイ授業はないだろうというくらいヒドイ授業をしてしまい、担当の先生には迷惑かけっぱなしで単元を最後まで終わりきれず、先生の仕事を増やして帰ってきました。 自分が適当に読んで内容がわかるのと、中学生に要点や読み方を教えることは全く違うことでした。あたりまえか。 きれいで優しい女の先生が担当だったのですが、私も年取ったとき(先生の年齢は不詳ですが学年主任だったし多分50代のはず)こういう女らしさ綺麗さと知性が備わっていたらいいなあと思いました。 3週間の実習で、教師って本当に聖者の職業だと思いました。 サラリーマン教師という言葉もありますが、半分以上の先生が8時9時まで仕事をしていて、日付変わるまで仕事をしている先生もいたし、土日も仕事したり部活に出たり。子どもの可能性を信じている聖者じゃなかったら、あのハードな生活を毎日続けることはほとんど無理だと思います。 私は今の状況を考えると、やっぱりもう少し余裕を持ちたいし、子どもと一緒にいる時間を持ちたいし、器用に両立できないことが再度よくわかりました。 来年の採用試験は京都か滋賀、それから試験日が変わる岐阜か愛知で受けるつもりですが、教員免許と一緒に取る司書教諭の免許を生かして(今の学校状況ではあまり生かす方法がないですが)保健の先生みたいな感じで、図書室の先生みたいなちょっと立ち位置を変えた場所にいけたらいいかもしれないなあと思いました。 それから、学校もやっぱり一つの組織で、100%自分のやりたいようにはできないということがよくわかり、私に財力と知性があったら、私が先生を集めて、自分好みの学校をつくりたいなあと(ありえない話しですが)思いました。 でも、小さい学校ならできるかもしれないし、そうやって考えていくと、ナナさんのような形やフリースクールに繋がっていくんだという気がしました。 いわゆる「大変な学校」で実習させてもらいましたが、本当にいい勉強になりました。 気持ちを切り替えて、残りの履修単位を早く克服します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年06月12日 05時49分27秒
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