カテゴリ:ジョージ・ハリスン
「城児針寸」そう! ジョージ・ハリスンです もちろん この人↑から頂きました もう30数年前になりますが私がリバプールの ミック・ジャガーの家の床下換気扇取り付けに 行っていた時 たまたま来ていたのが彼でした 彼は「おぅ! 日本の勤労青年! ガンバっとるねェ~」 と気軽に声を掛けてくれました 私はその頃 もちろん彼の顔を知っていましたので 「いやいや アンタには負けまっせェ~ ハハハ」 と馴れ馴れしく応えてしまいました それがかえって印象を良くしたのか その場で彼は私に「コレあげるわ 持って帰り~」と ドラムのスティック3本くれました (3本って? また中途半端な~しかも何でドラムなん?)と 不思議そうにしている私に 「あぁ~ 内緒やで ソレ リンゴの大将のんや あんまりよ~けもっとるさかいに パチッたった ガハハ」 と言うではありませんか 「エエんでっか? リンゴはん怒りまへんか?」 って聞いたら 「あぁ~ 気にしな!気にしな! ギョーサン持っとおるさかい 判らへんって 遠慮せんときって!」 って言うから 「アンタのもんは 何かおまへんの?」 と私も図々しくも言ってみました 「ワシの? ワシの何が欲しいねんな? せや! ピックやろか?」 等と駆け出しのフォーク歌手の様なこと言うんで 「名前 頂戴! 名前!」 と私も訳の判らんこと口走ったら 「名前? そんなんでエエのん? ヨッシャヨッシャあげよあげよ 大事にしいや ほなな ガンバリや勤労青年!」 と言ったきり何処かへ行ってしまいました そのまま英語表記アルファベットでは何かと誤解(私がジョージ本人 なのでは?と)を生むのも面倒くさいので 「城児 針寸」と漢字表記で名乗らせて貰っています 先年 彼が亡くなわれてからも あの時の彼の流暢な大阪弁が 忘れられず ずっと使わせて貰っています そう言えば あのリンゴのスティックはどこへ行ったんだろう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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