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昨日はお義母さんのお母さん。おばあちゃんにあたる方のお葬式に参列してきました。
おばあちゃんは私が徳島へお嫁に来る前から老人ホームに入っていました。なので、私も老人ホームへ行ったときにくらいしか会うことはありませんでした。 でも、彼や家族からどんな人だったとか彼が小さい頃おばあちゃんに遊んでもらった話を聞かせてもらうと、なんだか身近な感じがしていました。 ちょっと話は飛びますが、私の実家の祖母は2年前に他界しました。その時に祖母を亡くす辛さや悲しさを経験したし、また母が祖母=実の母を亡くす辛さを近くで見てきました。 まだ2年しかたっておらず、その時のことを覚えていて昨日のお葬式は、残された人の気持ちが伝わって私も思わずもらい泣きをしてしまいました。お義母さんも実家の母が泣いた時と同じタイミングで泣いていました。お棺にお花をいれたり、釘で打つときです。本当に最後のお別れ・・ということでこの場面は本当に悲しさがこみあげます。私も祖母のときに、同じ場面で泣いてしまいましたし。 そんなお義母さんを見ていると、お通夜の時には忙しさで明るく振舞っていたのに、やっぱり実の母を亡くすことは想像以上に辛いことなんだろう・・と思わされました。 実家の母もお義母さんも普段はとても明るい人柄。2人ともお通夜では笑って思い出話をしていましたが、やっぱり別れは辛いです。辛いって言葉では片付けられないけれど。 すごくきれいになっていたおばあちゃんは生きているように安らかな顔をしていました。きっとお空からジュニアが元気に生まれてくるようみてくれていると思います。お棺へ入れるお花も私とジュニアの分を入れました。あまり、面識のないおばあちゃんだけど、遠く血がつながるジュニアを温かく見守っていてほしいと思った一日でした。 彼もまた同じようなことを考えていて。これからも見守っていてほしい・・おれがいつかおばあちゃんの元へ逝ったときにまた遊んでほしいってことで、手作りのボールを昨夜作っていました。 小さい頃、野球のボールを窓にぶつけて割ってしまったことがあり、その時おばあちゃんはガラスが割れなくてすむように発砲スチールをけずってボールを作り彼に渡したそうなんです。それを覚えていた彼は、昨夜同じように発砲スチールでボールを作っていました。そして、それをお棺にいれて一緒にお空へ持っていってもらいました。 きっとおばあちゃんはまたいつか彼と遊んでくれることでしょう。 ちょっと余談・・・ ドラマ「えらいところに嫁いでしまった」でやっていた、広島ではありえない行事が・・うちでもありました。 なんと、昨日のお葬式でもドラマと同じくお赤飯を炊いてました!!!! 実家で教えてもらったのは”お赤飯といえばおめでたいもの”っていうイメージなんですが、昨日のおうちのしきたりではお赤飯を参列者のお土産に持たせるんだそうです。 そこで、お通夜の晩からもう一人のおばあちゃん(お義父の母)がせっせと小豆をふかしてました。そして、当日お葬式の朝に早起きして作っていました。 ドラマを見ながら彼と「お祝いでもないのにお赤飯はないよね~」って馬鹿にしていたのに・・・。うちでもあったとは。彼も知らなかったらしく驚いていました。 土地によって冠婚葬祭はやり方が違うので驚きの連続です。 まだドラマみたいに「お嫁さんが作る」とかではないのでよかったですが・・・(;゚(エ)゚) アセアセ あと、笑ってはいけないんだけど、焼き場へ行くまでの間に写真や位牌をもった人は三角のおばけがよくつけてる、飾りを頭につけます。 それが徳島では普通みたいなんですが、広島ではなかったので真顔で三角飾りをつけてるのが、笑えてなりませんでした・・・・・(゚_゚i)タラー・・・ 彼もあとで「似合ってたじゃろ?」って笑ってましたが・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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