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カテゴリ:ALS
母のALS年表の続きです。
私の記録ノートの走り書きを参考にしています。 2009 6月~ 水曜・土曜デイサービスに通い始める。 火曜日 訪問リハ開始。 障害者手帳申請。 7月 大学病院受診時、左足があげにくい。 左手の小指と親指でわっかがつくれない。 刀根山病院の名前がでる。 ・・やはりいつまでも大学病院で診てもらえる訳では ないようだ。ここが一番近いからいいのになあ。 父の負担を減らすべく奮闘期。 7.16 夕方、母呼吸苦を訴える。SPO2 93。 チアノーゼあり。すこしパニック状態? 大学病院にTEL、翌日入院することに。 7.17 入院。 肺活量62.3%。 バイパップの説明を受け、この入院中に使い始めることにする。 IPAP 8.5cmH2O EPAP 4.0cmH2O ・・・単位などあってるのか分かりません、 すみません。 7.30 在宅医に大学病院からの紹介状持参、家族面会。 8.3 退院カンファレンス。 気管切開についての説明など。 8.14 退院。 母の日課 火曜日 往診、訪問リハ。(午後から各1時間) 水曜日 デイサービス。(9時頃~16時頃) 金曜日 訪問看護・訪問歯科。(午後から各1時間) 土曜日 デイサービス。(9時頃~16時頃) 8月~ 電動3モーターベッドをレンタル。 寝返りは自分では困難になり、2~3時間おきに 介助が必要。 バイパップ夜2時間。 退院にあわせてくるま椅子購入。 (入院中に介護保険の区分変更申請と調査は済んでいたが 判定が退院に間に合わず、要介護1ではレンタル難しいので 購入した。旅行の予定もあったので、あってよかった。) 要介護4認定される。 浴槽台、浴槽ボード購入。 車椅子の時に使うテーブルレンタル。 このころは2時間おきに車椅子とベッドを行き来するかんじ。 食事は入院中から全粥と刻み食になり、家でも そのようにした。 (前歯が介助のたびにぶつかり、ついにぐらぐらになってしまった。 部分入れ歯を支えていた歯だったので 入れ歯なし、上は前歯2本だけの状態。 訪問歯科にきてもらい、治療開始。 週1の訪問。10月23日完了) 湯村温泉旅行。 9月~ この頃の進行はゆるやかだったように思う。 母の体調のことより、介護体制(みなさんご存知、父) が大変になってしまって ノートには母の身体のことがほとんど書いてない。 9月のはじめから私が週3回、弟が1回泊まり開始。 寝返りは2時間に一回、寝る時に2時間程バイパップ。 先月までは大学病院受診の時に病院内の美容室で カットしていたが9月からは訪問理容を頼むことにした。 階段を降りるのが困難になり、デイサービスに 行くときは男性スタッフさんが2人で抱きかかえて クルマに乗せてくれるように。 その後一人の方が腰を痛めてしまって・・・ 階段昇降機を試してみることにしたが、結局断念。 スタッフさん1人と父とで母を介助してデイに行っていた。 10月~ 足、腕ともに急に力が入らなくなってきた。 特に左手はてすりにのせてもブランと落ちちゃうくらい 握力がなくなった。 右手は、スプーンを使って口まで食べ物を運べる。 体重は45キロくらい。 元気な時(2年程前)は60キロくらいあったのになあ。 食事の時のむせは大丈夫。 夜、唾液でむせることがある。 10.27~ 母、私とも在宅の限界を感じ 刀根山病院入院。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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