年表
母のALS年表2007.12 近所の公園の植栽ボランティア中に1メートル ほどの花壇から転落、しりもち。 (自転車をおして自力で帰宅) 済生会病院整形外科受診。 腰椎圧迫骨折と診断される。 自宅にて安静療養。2008.1~ 骨折は完治したと言われたが 腰~大腿部の痛みとしびれがよくならず。 同病院脳外科でもCT,MRI検査するも異常なし。 座骨神経痛と診断される。 これ以上のリハビリは近くのクリニックで 受けるよう言われ、この時点では 大学病院への紹介は無かった。 春~ あちこちの整体に通い、自宅近くの 外科クリニックでリハビリをうける。 痛み、しびれは治まらず。 左足をかばって歩くようになる。 夏~ このころ自分の声が低くなったようだ、と。 徐々に歩行困難がすすむ。 秋 子どもの運動会を見に来た時、立ち上がろうとして シートに足を取られ転倒。 手をつくことができず顔面を打って鼻血がでた。 かなりショック。 自分の感覚と実際の体の動きが違う、と。 2009.1 父と整体に行った帰り、自宅団地の階段前の 10センチくらいの段差で転倒、 コンクリートでほほを強打する。 幸い骨折は無かったがしばらく 痛々しい顔になってしまった。 この2度目の転倒でクリニックの先生が おかしいと思ったのか、 大学病院の神経内科へ紹介される。 ずっと圧迫骨折が原因と思っていたのに。 腰椎の病気ばかり調べてたのに・・・。 2.12 大学病院初診。 2.26 大学病院受診。検査入院予約。 3.19~ 検査入院。 4.3 『原発性側索硬化症』と告知される。 しかし、リルテックを処方するにあたって、 『筋萎縮性側索硬化症』という病名でないと 公費が使えないので 『筋萎縮性側索硬化症』で手続きをして下さい、と 言われた。 以来、そのまま母の病名は『筋萎縮性側索硬化症』です。 調べていた病名を言われてショックだった。 その時の前後の事はあまり覚えてない。 母が泣いて、「大丈夫やで」って言って、 呼吸器着けてっていうようなこと言ったと思う。 この入院中は歩行器で歩いていた。 痛みはあいかわらず、だるさも。 掛け布団が重くて寝られない、と。 4.25 退院。 自宅療養開始。この頃の母の訴えは「重い」「痛い」「だるい」。家の中での移動は、つたい歩き。腕をあげるのがかなりきつい。お風呂は立ったまま洗い、片方づつあしをあげてあげれば浴槽に入れる。湯があれば浴槽のふちをもって立ち上がれる。掛け布団の重さがつらい。朝、布団からの立ち上がりは困難。一人では手すりがあっても難しい。(たっちあっぷレンタル)改修で風呂場てすり、生活動線上にも手すり設置。嚥下は大丈夫。退院時はこんな感じでした。つづきはまた今度にします