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カテゴリ:地震災害
仕事で、昨夜に移動し、今朝は千厩町、そして気仙沼へ・・・
宮城県気仙沼市・・・ 3月11日、あの時間、オヤジはここにいた。 大きな揺れ、そして、そのあとに、けたたましいサイレンの音 と共に、「大津波警報」が発令し・・・ その時に言われた「内陸を帰ったほうが良いよ」・・・ いつもは国道45号線、そう、三陸沿岸を帰路にしていたのだが、 その一言で、内陸を帰り、今、キーを打てている自分がいる。 もし、その言葉も無く、津波を甘くみていたならば、南三陸町、 合併前の名称、「志津川」を通過しているころに津波が・・・ あれから、半年が過ぎた。 震災後も、仕事で何度か気仙沼には出向いた。 しかし、道路の事情もあり、恐怖感もあったために、「志津川」 はあえて、避けて通っていた。 今日、初めて、その場所に足を踏み入れてみた。 恐怖感をかみ殺し、電話をかけながら・・・ 「復興」には程遠い、何もかも流された「町」がそこにあり・・・ 更地となった、なってしまった、この土地。 あれだけ古い町並みがあり、海が綺麗な場所だったのにと・・・ 南三陸町の防災センターで、避難放送を続け、津波の犠牲になった 遠藤未希さん・・・ 野田総理が、所信表明演説で口にしていた。 確かに、最後の最後まで放送を続け、何名もの命を救ってくれた女 性だし、感謝し、悲しんでいる人々が多い。 でも、美化しすぎるのはどうだろうと、個人的には思う。 誰もが3階建ての鉄骨庁舎を飲み込む津波が来るとは考えていない。 その「安全」と思われた建物でマイクに向かって叫び続けた「未希」 さん・・・ 怖かったであろう、逃げたかったろう、悔しかったろうと・・・ 不幸があれば、美化した話が付いて回る・・・ 確かに感動的な話も必要であろう。 しかしながら、今も行方不明の家族を探し続ける人々がいる。 日々の生活に困窮している人々がそこにいる。 津波だからと割り切れていない人々がたくさんいる。 感動とは程遠い、現実がここにある。 自衛隊が事実上「撤退」し、ボランティアの数も日々減少している。 世の中の注目も薄れてきて、マスコミは他のニュースに飛びついて。 しかし、現状はあまり変わっていない。 国道・県道は綺麗に「復旧」しているが、一歩路肩をまたぐと、瓦礫 がそこにある。 夏の日差しと、雨の影響で、赤く錆びた車や鉄骨・・・ 外観だけで、中身の無い建物・・・ 真新しい墓標と、手付かずのまま放置された家々・・・ 初春とはいえない寒さが続いた3月から、夏を終え、まもなく短い秋 へ・・・ そして、厳しい冬へと向かう東北。 日常が戻り、地元の人々、勿論この「オヤジ」も薄れてきている、あの 「恐怖」。 そんな時、今日早めの帰宅時に、また「揺れ」があった。 まるで、「あの日のことを忘れるなよ」と言われている様で・・・ 誰もが遭遇するかもしれない「天災」・・・ その後に待ち構えている「人災」・・・ 恐怖を煽るつもりは無いが、やはり「備え」は必要だと思う。 モノだけではなく、気持ちの「備え」も・・・ 半年間、仕事とはいえ、被災地のために尽力されてきた自衛官・警察官 消防隊員・ボランティア・現地スタッフに賛辞を送りたい。 そして、何もできなかった、そしてこれからも何もできないであろう、 政治家(一部を除く)や官僚に・・・残念です。 これからも先の見えない「復興」「復旧」が続く。 でも、1歩1歩、歩み行くことが必要だと感じている。 追伸 半年を過ぎ、少し真面目なUPとなりました。 このオヤジも、素直さを持ち、生活しております。 この気持ちを大事にしていきたいと・・・ これからも宜しくです!!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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