被災者の独り言その2
今回の地震・津波で感じたこと・・・避難所の使い方や、支援物資の流れ。現在も水道がストップしており、水の確保が大変です。各避難所に給水車が来て、近隣の人たちが殺到してます。どんなに家族の多さや必要性を訴えても、被災当初は一人1リットルまでで、その水をもらうにも2~3時間並びました。地区にもよるでしょうが、避難所側には潤沢な量が先に渡され、その残りを自宅にいる人々に供給するというものでした。少し違和感を覚えながらも、その生活を続け、今はある程度必要量をもらえる状態にはなりました。近隣の家族の中には、自宅もあり、電気も復旧しているにも関わらず、避難所にいる人がおります。理由を聞けば・・・食事の心配がない。水の心配がない。必要なものが無料で支給される。必要な情報が無償で提供される。何もしなくても助けてくれる・・・皆さんはどう思いますか??家も流され、身を寄せたくても親戚は遠方だったり、高齢であるためにボランティアや行政に頼らざるをえない人々等ならば避難所を活用するのは当たり前と思いますが、上記の理由で避難所を利用するのはどうなのかと感じてしまうのは、私だけでしょうか?たぶん、何も知らない避難所のスタッフは不眠不休で平等に対処しているはずです。支援物資は避難所へ行きます。残念ながら、自宅で過ごしている人々には供給されません。毎日数時間、必要なものが揃えられなくても、近所の店に並び、手持ちのお金を払って用意しているのです。もちろん、家や財産を根こそぎ災害に持って行かれた方と比較にはなりません。しかしながら、自宅や財産や家族を失っていなくても、被災者には変わりないと思うのです。それでも、支援物資は供給される側に差が生まれるのです。いただけるならば、物資を支給いただきたい。すべての被災者に・・・体育館や公民館等では心と体が休まらないと、自宅で過ごす高齢者の独り暮らしの方が回りに相当数おります。買い物に行くにも並ぶ体力がなく、水の供給には間に合わない等、生活に苦労している方もいます。だったら避難所に行けば良い!!そういう意見の人もいるでしょうが、「私達より辛い立場にいる人が利用する場」と考えている方が大半なのです。たまに近隣の仲間や、息子の友達グループを絡めて、水の配達を高齢者のお宅にしております。皆さん、手を合わせて感謝してくれます。避難所内だけにボランティアが必要ではないと思うのです。買うものすべて、並んで順番待ち。ほしい情報がなかなか手に入らない。仕事・学校等、いつ行けるかどうか。生活は今後どうなるのか??被災者全員が苛立ちを何とか抑えながら生活してます。店前で並んでいる時は怒号や大声が聞こえてきます。もしかしたら、私もこのコメント自体、自制が利いていないかもしれません。ご批判覚悟で書いてます。でも、被災者の格差、各自治体対応の格差、物資支給の格差、さまざまな格差が目の前に生まれてくる。これも被災の現状なのです。今、息子が私に報告しに来ました。学校で仲の良い女友達の父親が津波に流され遺体で発見されたそうです。つい先ほど、遺体安置所で確認のため、対面してきたとの事。安置所と言っても、体育館の片隅で。その子も、その父親も面識がありませんが、涙が出てきました。安否・・・何気なく使っている言葉ですが、残酷な言葉です。時間がたつごとに「否」の情報が耳に入ってきます。