怖れと後ろめたさと罪悪感
今朝、娘のお見送りをしようと玄関外に出た時に、旦那が家の鍵をかけて会社に行ってしまいました。私はそれに気づかず、「いってらっしゃい」とお見送りをしました。旦那は道路に飛び出し、危うくバスにひかれるところでした。バスは玄関前まで来てくれるので、私は鍵も携帯もお財布も何も持っておらず、完全に締め出しをくらってしまいました。散々迷ったけれど、隣家の大家さんに電話を借りて、親に預けてあるスペアキーを持ってきて欲しいとお願いしました。父が来てくれるまで40分ほどありました。外で待っている時に、ふっと、「助けて」って言う事への罪悪感がある事に気づきました。4歳の頃、母の暴力が激しくて身体も心も限界で泣きながら父に助けを求めた時「俺に助けを求めるな。困る。自分でなんとかしろ」と何度も何度も言われた事。母から「調子のいいときだけ私に助けを求めるな。お前は本当に自分勝手で嫌だ」と、今でも言われ続けている事。私は、父に助けを求めた時、もし父が私を助けると、母の狂った怒りは父に向かいそれを父は恐れていたこと、面倒だと思っていた事を分かっていました。実際にそう言われ続けてきたので、父に「助けて」が言えなくなりました。私が「助けて」と言うと、父も母も何か心を乱され困る事を知っていたので「助けて」と言う事は罪なこと、両親を死に追いやるくらい悪い事、と思っていました。両親を困らせ悲しませるくらいだったら、私1人が我慢してそれで済むのなら、それでみんなが幸せなら、我慢しよう、ずっとそう思ってきました。助けてが言える人こそ自立している人そうAPの先生に言われて、言いたいけど言えない苦しみがありました。「助けて」って言っていいと自分に許可を出してあげること「助けて」に関する沢山の悲しみを癒すこと過去の事と、現在~未来の事をはっきりと分けることまだまだ沢山やる事はあるなぁ~でも1歩1歩ちゃ~んと進んでいるぞ!旦那がバスにひかれそうになった時、「そのままひかれて死んでくれたらラクになったのに」そう口から出てきました。ラクになるのは、私かなぁ..それとも旦那かなぁ..