好きにならなくていい
死の恐怖(トラウマ)から逃れる為脳を過覚醒させるのに怒りが必要な為理不尽な人を周りに配置し続けていた、という事は理解し、腑に落ちた。で、ここで抵抗が出てきた事に気づいた。旦那も姑も、もしいい人になっても好きになりたくない、って気持ちだった。嫌いなままでいたいって。暫く頭の中で格闘した後、いい人だからって好きになる必要はない、いい人でも嫌いでいいって自分に許せたら涙がぶわっと溢れた。わたしの中では、特に姑は嫌い、という立ち位置で存在していて欲しいらしい。他にも過去に出会ったいい人なんだけど。。って人たち。無理に好きにならなくていいや、嫌い、でいいや、って思えてラクになった。次は、非道な下衆を好きになる私を許すって試練が。。頭では、そんな下衆好きになったら暴力ふるわれたりして滅茶苦茶苦しい人生になるって思ってる。でも一方で、そういうクズを好きな自分を本当に受け入れ愛せたら、そういうクズとの関わりは終わる、とも分かっている。葛藤。いつもこれ。