放出と抑止
銀歯を全て除いて3年が経ちました。慢性疲労がかなり改善され、朝は多少眠くとも起きられるようになったし、ダルさも重さも減り、生きやすくなってきました。先週の木曜日、またふっと氣づきがありました。私が今までおこなってきたこと、頑張ってきたこと、チャレンジしてきたことなど、全然自分で自分の行いを認めてなかった、どころか否定してきたと氣づき、認められる為に更に頑張る、でも自分では、やってもやっても(無意識に)認めない。更に頑張る、それでも認めない、を、ひたすら繰り返してきたのだと氣づきました。例えばヨガを行えば瞬時に身体が変わります。(私が行っているヨガはそのようなヨガです。)でも思考がそれを認めない、ヨガなんかやってないと、やった分だけ変化しようとする身体を抑え付ける。身体と思考の対立が起きていた事に氣づきました。エネルギー的にも、ヨガの動きにより内奥にあった不要なものが出ていこうとしても思考が無かった事にして、出ていかせない。変化しようとするエネルギーを無いものとして変化させないように抑え付ける。アクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態。どちらにも動けないエネルギーにがんじがらめにされてる。それは自分で自分に呪いをかけているよう。幾重にも幾重にも。。これは苦しいわ。。鬱にもなるわ。。心もおかしくなるわ。。身体も壊すわ。。人間関係も築けないワケだわ。。人生も壊れていくわ。。氣づいたので、頑張ってきた事を1つ認めてみました。小さくても毎日続けてきた事。頭で考えたら、そんな小さな事やったって何にも変わらないよ、とバカにされそうな事。でも、そんな事でも「やってきた」と認めたらほろりと涙が出て身体が熱くなりました。もう一つ、行動できていたのは私の中の男性性のお陰で、行動を否定するってことは、男性性をも否定するって事で、随分と長い間、私の中の大切な男性性を痛めつけてきたんだな、と、彼に謝りました。すると男性性の部分が涙をはらはらと流し認められ喜んでいるのを感じました。そして今日、動かなくても出来る小さなヨガの動きをやって、男性性に感謝するとほろりと涙が溢れました。少し呪縛が解けました。まだまだ沢山ある。その中で、自分がやった悪い事(と思っている事)を認めたくない、という感情も出てきて、認めなければ、まるで無かった事になるかのように自分を騙して、深い罪悪感も同時に感じました。旦那が娘を殴り倒しても、直後に「記憶にない。知らない。 覚えてなければ何をしても罪にはならない」と言って、長い間娘と私を苦しめてきたけど、私の中のものが映し出されていただけだと氣づきました。一生懸命自分を守ってきたつもりだったけど、傷つけてもいた。良いことも悪い事も、自分がやった事なら受止めないとね。自分を誤魔化す事はできないし、結局は自分に返ってくるしね。感情を受止める事に氣づいたからこその次のステップかなと思いました。ひたすらやり続けるしかないので今日も正直にひたむきに取り組んでます。