言葉の大切さ
やっと自分自身落ち着き、先日言っていたとおりたまにはまじめに書きたいと思います。言葉は時代とともに変化をしていく中、使いやすい言葉に変化したり、流行語が廃れ、死語になり(死語も新語だけど)偏見や軽蔑を代名詞として連想されるであろう言葉が、別の言葉として言い換えられたり。。。ここ最近は、障害者(←あえてこのような表現をします)に対しての社会の動きが、はっきり言えば変わってきた気がする。これは丸(円)にすると解り易いかも知れないが、分度器の0度から上から回る見方と、0度から下回りで行っちゃう見方と、行き先が180度なら、お互いに歩みよる傾向にある。障害者云々と全くかかわりがない方にとっても、「ハンディーキャップ」(本当は検索しやすいので、ダイレクトでこのような言葉は載せたくはないのだが)と言う言葉の意味は十分おわかりのはず。まあこの言葉は死語である。言葉の意味のまんまで、こんな言葉を格好良く使っている人がホントたま~~~にいると、私はその人の前で、堂々とさりげなく、訂正し言い方を語る。これは言葉のいい間違いや、誤字脱字の次元を超えているので、この事は年や経歴、立場関係なく訂正する。「障害者」なんて言葉はこの近日(将来的には)消えるであろう(勝手な私的予想と、願望)まずは、放送禁止用語にすべきだ!あれも、線引きは全くないらしいからね。それにしても法律でこのような言葉を使うとは、けしからんと思うけど、そのときの1番の最善策だったと思うでしかたない。「障害者」とひとくくりにすると、特別な人扱いなのです。目が全く見えない方が障害者とするなら、視力が非常に低下している人は目に障害を持ちそうというのか?メガネがなくちゃいけない人はどうなのか?足が曲がっていて、ギブスで固定をしている、足がほんのちょっと動きが悪いが、歩ける、走れる跳べる。不自由なのか?障害者なのか?生まれて、車椅子生活をしている子が、不健康なのか・足が悪いだけで、健康そのものなのに、「障害者」と言う言葉がじゃまをする。ん、ならば、、、自分が「障害者」にならないで一生を終えるなんて保障はあるのか?今までは、先天性、後天性で障害を判断していたが、この言葉も変わった。やはり、語弊があるからだ。(それでも、そのくくりが問題だと思うけどね。)先日、ほんの少しの時間だったのに、このような私の勝手な思いと、お互い主張したいこと、言いたいこと、している事がかぶりまくりすぎて、半分の時間で手っ取り早く意思疎通ができた。ホントにビックリだった。してもらって当たり前から、していただける権利を得る、に変わり、してあげてるから、させてもらうに意識が変わり。つつ。。。そんな時代になりつつあるのが、結構期待大である。「差別」もだめだけど、「えこひいき」もダメな時代なのだ。そんな所で共感しあえたのが嬉しかった。最後に1つ。「障害者」という、固有名詞的な言葉は使うのはやめましょう!!!その人自信に、その人自信すべてが障害者なのではないのだから・・・(その禁止用語を使わなくても生きていけます)でも、あえて使わなくてはいけない場合があるのも事実だけど。だけども、配慮を出来る言葉があるはず。感じ取るものなので・・・ただ今、いっちは障害者です。あえてその言葉を使います。1ヵ月後にはそのギブスは取れるであろう。そのいっちを見たとき、クラスのみんな心配し、手伝う。人として当たり前。障害を持つ方に、人としてどのように接するかは、人としての関係だけではないか?困った時には助けあう。(続編あり、気が向いたときに)