カテゴリ:子ダヌキ3歳
6月28日の父タヌキの誕生日の早朝、 大好きな大好きなしーちゃん が、旅立ちました。 ポン太は、23日の金曜日にお見舞いに行ったときも眠っていて話すことが出来ず、 25日の日曜日も “今日はしーちゃんトコ行かないの?”と、 言っていたけれど、体調を崩していたポン太は行けず、 水曜日の母タヌキの休みにまた行こうねと約束していました。 それでも、母タヌキ自身も気になったので、27日の火曜日の仕事帰りに、 病院に寄りました。 一人で寝ていたので、 “ポン太が会いたがってるのよ~~。お話したいんだって。” “しーちゃんのこと、大好きだからなんだって。” “ポン太と明日来るからね~” などと、ずっと手をさすりながら話しかけると、 かすかに、でも、ちゃんと返事をしてくれていました。 30分ほど話をして、また明日と帰ったのですが、 次の日の朝、ご主人から、悲しいお電話を頂きました。 青森の父タヌキの両親も出てきて、 みんなでお別れをして、1日に荼毘に付されました。 ポン太にはなんといって良いかわからず、 “みんなでしーちゃんにバイバイしようね。” としか伝えず、聞かれたら答えるつもりでしたが、 なにも聞きませんでした。 ただ、母タヌキが泣いていたので、ずっと母タヌキから抱っこのまま離れず、 “大丈夫よ。大丈夫よ。” と、抱きかかえるようにして母タヌキを慰め続けてくれていました。 告別式の日は8時間位かかったのですが、 無茶を言ったりもせず、ポン太なりに頑張っていました。 その日の夜、帰宅した後、もう一度その場に残っていた青森のばぁばを迎えに ポン太と二人、車で戻ったのですが、 途中、電話でしーちゃんの娘のアッコちゃんに “また近いうちに遊びに行くね。” と言っているのを聞いて、 “何で行くの?” と聞きます。考えたのですが、 “しーちゃんにマンマンチャン(仏様に手を合わせること)しに行くねって事よ。” と、いうと、 ポン太“じゃあ、ぼく、また我慢するね。” 母タヌ“何で我慢?” ポン太“昨日のマンマンチャンも、今日のマンマンチャンも頑張って我慢したから、 また、我慢するね。” ポン太は、きっとなんとなく、でも、何もかも解っていたのでしょう。 だから、我慢できたし、また、しなきゃいけないと思ったのでしょう。 大勢いる場所は大嫌いなのに、抱っこは降りないものの、 ずっとそこにいたのも、 ちゃんと、お花を棺に入れて、しーちゃんに手を振ったのも、 母と一緒に並んで、歩いて自分の分の榊を納めて、手を合わせたのも、 理解して、やっていたことだったのでしょう。 もう、会えないことも、話せないことも、きっと知っているのです。 母が休みのたびに“行かないの?”と聞いていたのに、 言わなくなりました。 ちゃんと、説明してあげた方が良かったのでしょうか。 今度、マンマンチャンしに行ったら、 これからは、しーちゃんがポン太を守ってくれるよ。 いつもお話、聞いてくれるよ。 お空から見てるんだよ。 だから、寂しくないんだよ。 と、伝えようと思います。 しーちゃん、ありがとう。 安らかに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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