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カテゴリ:HASIRA生活日誌
第十五話
もう十年以上もつきあいのあるか写真家の師匠から電話があり、至急事務所へと駆けつける。 今の時代には珍しいこととなってしまっているのかも知れないが、最下の弟子たるもの「いざ鎌倉」の姿勢を崩す訳には行かない。 果たして今日は何の用件かと訪ねれば「釣りに付き合え」とのこと。 僕の車は、冬の風を切り裂いて片道一時間の港へと向う。途中何本かの缶珈琲を買い、それでお腹をみたした僕たちは、釣り場につくや否や、まるで行商人のように重い荷物を背負ったまま防波堤の先端へと歩き出す。もちろんその方が釣果がいいからだ。 不景気な顔をして立ち去る釣り人たちと入れ代わるように釣り場へと向う。「釣れる釣れない、ではない。彼らは単なる負け犬なんだ」師匠はそう吐き捨てる。 ひさしぶりに見る海。見渡す限りの海。 もしかすると釣りは今年初めてかも知れない。乾燥したヒトデや貝殻を踏みつぶして、僕はそう思う。 そんな暇がなかった、という訳ではない。ただ、この広大な風景に飲み込まれるのが怖かっただけだ。この一年間、実に色々なことがあった。そしてそれはどれ一つとして喜ばしいことはない。この一年で、一体いくつの痛みを背負ってしまったのだろうか、数える気すら起きない。 そして、このぽっかりとあいた空間に立っていると、それらの出来事が、まるでスクリーンに写し出されるかのごとく沸き上がってくるのだ。 僕は、ポケットの中で携帯電話を握りしめる。 こんな小さな機械に頼っているなんて滑稽で、哀れだ。 しかし僕にはそれしか味方がいない。 不意にその機械が小さく振動すると、彼女からの電子郵便を受け取った。 それはたあいもない、ホンの短かな文章だったけど、僕は深い安心を得る。 冬の風すら感じなくなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/11/22 08:15:40 PM
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