テーマ:華麗・大川橋蔵の時代劇(449)
カテゴリ:その他
次の作品「花笠若衆」に行く前に、 佐伯監督が、コンビをきびしい目で鋭くとらえ、これからに期待をもって論じていましたので読んでみてください。 ファンの中には、読んでいってそんなことないわよ、と憤慨される方もいらっしゃるかもしれませんが・・・これは監督さんが当時のお二人を演技から見てのアドバイスです。 佐伯清監督が「花笠若衆」を取るにあたって、どのようにひばりさんと橋蔵さまを撮っていこうか、どんな面を伸ばしていこうか・・等をくみ取っていただければと思います。 (いつものように、私なりのニュアンスと見解、要約で書いていきますので、そのところご了承ください) 佐伯監督が、初めてひばりさんと橋蔵さまと一緒に仕事をしたのは「大江戸喧嘩纒」のときでした。初の仕事がコンビ作品であったことは、「花笠若衆」を撮るうえに大いに幸いしたということです。佐伯監督はひばりさんとは時代劇も現代劇もと随分取っていらっしゃいますが、橋蔵さまとは、残念ながら少なく2本だけのように思います。
ひばりさんや橋蔵さまの個々の役者としての魅力や癖や人となりに接すると同時に、1+1=2の魅力ともいえるひばりさんと橋蔵さまのコンビの、息の合った演技への呼吸のしどころ、かみ合いのやりとりにも、新鮮な感覚で接することができたようです。 ひばりさんは理屈から割り出すというより、感覚的なもので近づいて処理する方の女優さんで、その器用さだけで勝負することは長い将来を考えると大変に危険なものを感じる。ひばりさん自身もっとも深く反省しているところで、次なる段階に飛躍しようと悩んでいる時だと言っています。(省略) そして、「最近ひばりちゃんを見ていて、つくづく感じたことは、必ずしも美貌の女優ではないはずなのに、時々とても綺麗に見える時があり、見惚れることです。瞬間的なもので、口には表せないが、中でも黙って何かを考え込んでいる時の顔は、印象的なほど美しい顔をしているのです」 今度の「花笠若衆」の中でも、この新発見のひばりさんの魅力を十分に生かそうと考えたようです。 橋蔵さんの方は、大変な美男子だと思うし、表情も大変上手な人です。しかし、時代劇俳優に共通した鈍重さがないということは、また、逆に、短所になる事が往々にしてあり、もう少しこのところの勉強を期待したいと前々から思っているのです。橋蔵さんとの仕事は少ないが、作品はスクリーンで見ているし、監督の縁りあいの雑談で、何かと話題にのぼってくるので、よく研究しているつもりです。 彼は、この頃だいぶ芝居が落ち着いてきて、頼もしい俳優になってきました。彼はよく考える人だから、自分の欠点を十分に感じて知っているでしょう。家に帰っても必ず台本を読んで、それも声に出して読みながらリハーサルをすると聞きますが、そうした彼なりの懸命な努力と、不断の反省が、着々と俳優としての実をみのらせているのだろうと、裏ながら、その目に見える成長を楽しみにしている俳優の一人です。そこで、彼が、もう少し伸びて、小さくかたまらないように、大らかな芝居をのぞみたいのです」 佐伯監督が橋蔵さまと接した経験から見ると、大変細かく動き過ぎる印象があったようです。今度「花笠若衆」で一緒に仕事をしてみて、だいぶそれが直りつつあるのを感じたそうです。 監督は「その調子、その調子」と心の中で橋蔵さまに励ましの言葉をなげながら、毎日楽しみに監督の椅子から眺めていたそうです。 橋蔵さまの人知れずの努力が目に見えて現われているのが嬉しく、橋蔵さまのような俳優さんにはおくせず、どしどし欠点を指摘して、もっともっと立派になってもらおうと、高い理想の上に立って、厳しい忠告をあえてするのだといっています。 それも、「橋蔵さんの普段の性格の暗さとは反対のものを、どこまで押えて行けるかで、その成長が決められるのではないかと考えます。つまり、性格の暗さが、芝居の重さになるようにと思うのです」 橋蔵さまも映画の仕事にようやくなれたころ、今までに築いた人気の上に立って、不足の面を伸ばしていってほしいと期待しています。 そして、ひばりさんにも共通することですが、二人とも何となく色気が出て来たので、これは大切にしていきたいと言っておられます。 「現代劇にアピールするような個性・・橋蔵さんには感覚がスピーディであるということ、ひばりちゃんには現代の大衆にアピールする民衆性を持っているということは、各々にとって、まだまだ俳優として伸びる余地がある事を物語り、役柄の発展を保証しているものともいえるでしょう。 二人とも揃って呑みこみが大変早いということもこのコンビの特徴と言えるでしょう。 しかし、監督にとっては大変やり易い俳優さんには違いないのですが、ともすると、それが、重さに欠けて、感覚のみの軽い芝居になりかねない欠点を持ってしまい、観客の心に食い込んで行く迫力のようなものが足らない、何か物足りない不満足感を味わわせる難があるとも言えます。これは、二人のこれからの課題でしょう」 ひばりさんの男役は、太い声がそのまま十分に生かされ、そう無理もなく扮することができると言えます。お姫様役はひばりさんの持ち役とされてはいますが、庶民すぎるひばりさんだけに、男役の方が、ひばりさんだけにしかない面白い魅力がだせるようです。「花笠若衆」でも、その点を十分に考えてお姫様になった時マイナスにならないようにと神経をかたむけたようです。 たいていの俳優さんは「本番ですよ」とカメラがまわり始めると急に意識して萎縮した芝居になるものですが、ひばりさんはカメラがまわりだしても無心な芝居をどこまでも続けているのには感心しているとのことです。 橋蔵さんは、長い間歌舞伎の世界でたたかれ、古典的芝居の教養を受けてきた人ですから、そういうものを生かした芝居が、橋蔵さんの見せどころではないか。そうした意味では、「花笠若衆」での殿様役は、十分に橋蔵さまの魅力が見られることと思います。 橋蔵さまが一番美しいのは、”その笑顔”だと佐伯監督は言っています。 それも十分に生かされるように作品の中に生かして行こうとつとめているそうです。 恋を譲って悲しさを味わう場面では、ひばりさんの美しさは”思案気な沈黙の顔”にあるのでひばりさんの一番美しい顔をカメラにおさめたいと考えているようです。 「ひばりちゃんも橋蔵さんも個性の強い俳優だから各々の性格、持ち味にあったものはいいけれど、次回にはそろそろ冒険をいどんだほうがいいのではないか、と思います」 ひばりさんには、ママがいていつも影になり表になって、よき代弁者になっているし、理解と愛情といたわりの心で見守ってくれているからいいのですが、橋蔵さんには、そうしたい意味のアドバイザーがいないことが、やりきれないほどの心細さでしょう。(この時には、マキノ光雄さんは亡くなられてしまっていたし、福島通人さんはひばりさんの問題もあり新芸プロを辞めてしまった時ですから、橋蔵さまは本当に一人ぼっちという感じでしたでしょう) 現今の若い人のように割り切った戦後派にはなれず、大胆にもなりきれず、今大変騒がれている日活の俳優の石原裕次郎に見受けられるような人柄には、とうてい似ても似つかぬひばりさんと橋蔵さまです。 裕次郎の魅力である、押しの一手というものの迫力は、凡そ二人には持ち合わせぬものですし、知らないことでも知っているような顔をするある種の逞しさも、凡そ二人には縁遠い。「知らんことは知らん」というよりほかにないといったタイプの二人なのです。 しかし、ひばりちゃんや橋蔵さんが扮する芝居は古くさいヤクザもので、裕次郎のはモダンなヤクザもので、やはり義理人情にひっかけて描いたものです。いうなれば共通したテーマであり、ただ表現が違うだけではないか。 しかも、両方ともに、内容はどんなに無残であろうとも大変明るく描いているということも共通点です。やはり、人気の源泉は、時代劇、現代劇を問わず同じものだとつくづく考えたものです。 そうした勘所をはっきりと身に持ちこなしているひばりちゃんと橋蔵さんが、その人気の上に立って、益々検討されることを監督の一人としてのぞみます。」と締めくくっています。 次回は「花笠若衆」を掲載していきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年09月14日 09時08分47秒
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