オクラ 14回目の収穫 東日本大震災557日後に
昨年のオクラ5月03日 種まきした 昨年の保存した種5月15日 まだ 発芽しない5月22日 まだ 発芽しない 種みるが そのまま 発芽しないようだなあ ???今年の発芽は どうも失敗となったみたい 種の保存がよくなかったのかな ??種を買ってきて 再度 種まきをしよう5月22日 種をかってきて再度の種まきをした5月28日 まだ発芽していない 遅いなあ5月30日 発芽した おお 結構と時間がかかるが カバーもしているので okだ06月05日 畑に移動した g-10に移動ok 20本06月19日 苗は無事に育ちつつある ok06月29日 苗はすこし生長してきている 雑草を取り除いておく07月10日 そのご 苗も大きくなりつつある07月17日 初の収穫だ 4個あり第二弾の種の種まき06月05日 2回目も種まき06月11日 すこし発芽してきている06月12日 移動だ m08の畑に移動した 8本06月19日 苗は無事に育ちつつある ok06月29日 こちらの苗もok 無事である 問題はなし07月10日 そのご 苗も大きくなりつつある 07月17日 初の収穫だ 4個あり 花があちこちで咲いている07月24日 25個の収穫をしておく 本格的に実が付き出した07月31日 30本の収穫をしておく 合計59個08月07日 30個の収穫をしておく 合計89個08月13日 20個の収穫をしておく 合計109個08月20日 20個の収穫をしておく 合計129個08月28日 20個の収穫をしておく 合計149個09月04日 20個の収穫をしておく 合計169個09月11日 20個の収穫をしておく 合計189個09月18日 20個の収穫をしておく 合計209個09月23日 30個の収穫をしておく 合計239個10月01日 30個の収穫をしておく 合計269個10月10日 20個の収穫をしておく 合計289個10月16日 10個の収穫をしておく 合計299個10月22日 10個の収穫をしておく 合計309個7月17日より収穫を開始 ただいま 309個今年のオクラ04月08日 オクラの種を買ってきておいた今年も5月より種まきをしよう04月30日 庭で種まきをしておく05月10日 発芽してきている 16pots 10日かかる05月13日 g-22の畑に移動 植え付けしておいた05月20日 苗は無事 16本くらいある06月17日 なんとか育ちつつある これでokだなあ06月30日 花がついている 順調に育ちつつある予備として オクラの種まき 第二弾05月27日 追加で庭で種まきをしておく06月03日 発芽した すこしだけ 5本くらいかな残っているのは06月10日 畑に移動する m-06に植え付けた06月17日 残っているのは 2本だけ まあ 予備なのでokオクラ 花も咲き出した なんとか育ちつつある07月08日 良く見ると 実があちこちに付いている 収穫をしておいた15個07月11日 2回目の収穫をした15個07月16日 3回目の収穫をした30個07月19日 4回目の収穫をした20個07月22日 5回目の収穫をした20個07月29日 6回目の収穫をした30個08月05日 7回目の収穫をした30個08月12日 8回目の収穫 8個08月19日 9回目の収穫 2個08月26日 10回目の収穫 2個09月02日 11回目の収穫 20個09月08日 12回目の収穫 20個09月09日 13回目の収穫 10個09月16日 14回目の収穫 10個勢いが弱ってきている7月8日から 15+15+30+20+20+30+30+8+2+2+20+20+10+10=232個東日本大震災 3月11日発生09月19日は 既に557日後となった武田さんのブログ----------------------------------------------尖閣・竹島・四島・・・領土と国(4) 朝鮮竹島の問題は尖閣諸島とは趣が異なります。それは、「歴史的に見て、日本は中国に比べて、朝鮮にそれほど悪いことはしていないのに、なぜ、朝鮮人は中国人を嫌わずに、日本を嫌うのか? それは本当の姿か?」ということが鍵と思います。というのは、日本との関係ができるまで、朝鮮は中国の属国の歴史が長かったですし、元の時などはそれこそ大変でした。そして19世紀の終わりには帝国主義時代で、「清、ロシア、日本」のいずれかに併合されるという状態でした。1910年に日本が韓国を併合してから朝鮮は発展し、多くの朝鮮人が幸福になりました。だから普通には正しい道筋でもあったのですが、でも日本に併合されたのだから、朝鮮の人にとっては不本意だったでしょう。このことを考えるには、朝鮮の難しい社会構造があります。朝鮮の支配層は「日本より中国に支配されるなら良い。ロシアでも良い」としていましたが、それはやや精錬潔癖を望む日本では貴族の地位が危うくなることでもあったからです。1910年の併合前後、当時の李朝朝鮮は中国の支配下にあって国は乱れていました。ヤンパンと呼ばれる上流階級が一般国民を農奴ように支配するという社会で、上流階級は清朝に隷属していました。その様子は女流旅行家:イザベラ・バードの手記に良くまとめられています。「朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。—イザベラ・バード, 『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 fところで、当時は帝国主義時代ですから、国力が弱いので中国、ロシア、日本のいずれかの属国になるしか選択肢はなかったのですが、日本はイヤだったのです。日本の歴史書には「日本が入ってくると、階級制がなくなりヤンパンの特権が奪われるから」とありますが、それならヤンパン以外の朝鮮人はどうなのでしょうか? 私の回りの朝鮮の人はみんなシッカリした魂を持った人なのに、なぜこれほど日本を憎く思うのか、竹島の問題は「国際法」など以前に、私たちが「韓国人」という場合、それは支配層なのか、支配層の影響を受けている人か、それとも一般の人なのか、それを考えなければならないのです。くれぐれも注意がいるのは、「朝鮮人の支配層」が自分たちの利権を守るために日本人が来るのをいやがっていたという事実です。いまでも、もしかすると日本を憎んでいる人は韓国の一部でそれを誇大にマスコミが報道している可能性もあります。日本でも「選挙をすれば負ける」と言う民主党が政権をとっているぐらいですから、外から見たその国と内から見るのとは違うかも知れません。(平成24年9月16日)なーるほどはた坊