いにしえの時から
2009年のヨーロピアン・ブラスバンド選手権の課題曲であるヴァンデルローストの作品を題名にした2枚組のハスケのアルバム。先日、コーリー・バンドのニュー・アルバムのレビューを書きました。そのアルバムに収録されていた「いにしえの時から」の吹奏楽版の録音がオランダ王国海軍軍楽隊による演奏で発売されました。一聴、カスだと思ったのですが、何回も聴いているうちに良い曲もあることに気がつきました。ブランスバンドの作品を吹奏楽に編曲すると、往々にして味が薄くなってしまいます。私は、編成が大きくなったことと、ブランス・バンドの力量と吹奏楽団の力量に差があること、ブラス・バンドの場合にはアクロバティックな演奏の相乗効果があると思っていました。ちょっと飛躍しすぎていますが、いわば、ピアノの原曲とオーケストラ編曲版みたいな関係です。楽器が増えるだけ、色彩的には豊かになるのは自明ですが、人数も増えるわけで、それだけ制御しきれなくなります。それに、ブラス・バンドと吹奏楽の演奏者の力量の違いも大きいです。はっきり言って、ブラス・バンドはプロ楽団はあまりありませんが、アマでもその技量はプロ並みの方がぞろぞろいます。中には、超一流のプロ・オケのトップで活躍している方もいらっしゃいます。今回のアルバムを聴いてもやはりその考えは変わりませんでした。録音のせいもあるかもしれませんが、全般的にサウンドに厚みがありません。表題曲では、原曲の方が刺激的だと思います。前半を聴いていると、朝鮮の旋法を使っているのか、チャンスの「朝鮮民謡による変奏曲」を聴いているような、オリエンタルなムードがあります。この曲の真骨頂は、後半に始まるコラール風の叙情的な旋律にありますが、この演奏でもその良さは十分に出ています。ただ、主題が出るまでの前置きが長く、もったいぶっている感じがします。最後は、取ってつけたようなエンディングであることは、以前に書いた通りです。最初の「ゴルゴダの丘への行進」は「ピーテル・ブリューゲルに捧ぐ」という副題がついています。ピーテル・ブリューゲル(父)は16世紀ネーデルランド絵画史上最大の巨匠です。有名なのは「バベルの塔」(1563)で、この絵を見たことのある方は多いのではないでしょうか。吹奏楽ファンなら、大阪市音楽団のCDでこの絵を使ったアルバムがあったことを記憶していらっしゃる方が多いと思います。個人的には、彼の絵を見たことがあったかないか確かではありませんが、もしかしたら「雪中の狩人」は実物を見たことがあるかもしれません。ところで、この作品はブリューゲルの「ゴルゴダの丘への行進」の色々な印象を描いたもので、沈鬱な雰囲気の部分と勇ましい部分が交錯しています。個人的には、この絵を見て、人が多すぎてどこに焦点を合わせているのか分からないことも含めて、そう言った印象はまるで受けないのですが、やはりキリスト教徒でないとわからないものがあるのかもしれません。解説を見ると、だまし絵的に十字架の重みで倒れているキリストが描かれていると書かれていて、注意してみると確かにその通りです。この絵からそれだけのインスピレーションを受けるというのは、少なくとも私には理解不能であり、作曲家という人種の感受性のすごさを感じないではいられません。前半は色々な楽器がかわるがわる出てきて、室内楽的な音楽が特徴的です。ところが、5分過ぎに、何故かマーラーの巨人の終楽章のコーダの直前の音楽が出てきます。力強い行進を描いていると思うのですが、パロディー的で些か場違いです。エンディングでオリエンタルなムードに堕しているところも、なぜこういう展開になるのか理解不能で、惜しいです。 ヤコブ・デハーンの「エレジーl」は主題が「嫉妬」です。ブックレットによると、この曲は3つの作品からのインスピレーションをもとにしています。それは、イギリスの詩人ジョン・ダンの詩、ムンクの「ジェラシー」、そして16世紀フランスの作曲家ピエール・セルトンのシャンソン「ラララ、それは言えない」です。このセルトンの作品もジェラシーに関するもので、主に合唱で演奏される機会が多いようです。キングズ・シンガーズ他多数の演奏がネットにあります。内容は隣の奥さんが浮気していてそれは言えない~みたいな陽気な歌で、どうしてこれがこんなに沈鬱な曲になってしまうのかよくわかりません。キングズ・シンガーズのテンポは極端にしても、少しテンポを落とすと、田舎の鄙びた雰囲気が出てきますが、作曲者はそのような演奏からのインスピレーションを得たものと推測されます。ムンクの「ジェラシー」は同じ名前の作品が幾つもあるようです。主なものは、前面にちょび髭の暗い感じの男が立ち、背後にヌードの女性と恋人の男性がいるという構図が多いです。作品は、重みのある作品ですが、サウンドがちょっと軽いというか軽薄気味です。トランペットが出てくると、昔、東京佼成で良く聞かれた田舎楽団っぽい響きが出てきて、げんなりしてしまいます。 八木澤教司の「モーセとラメセス」は古代エジプトの十戒に基づく「交響的詩曲」で、スケール豊かに描かれています。前半は八木澤氏らしい叙情的な旋律が続き、テンポが上がった中間部から躍動的な旋律が出てきて、その後冒頭の叙情的な旋律が再現されクライマックスが築きあげられます。息の長いクライマックスは氏の独壇場ですが、今回は素材がそれに十分に耐えきれなかったきらいがあります。 ヴァンデルローストの「バス・トロンボーンのためのバラード」はワーグナーの引用がちょっと違和感を持ちましたが、献呈された方の名前がワーグナーでそれにちなんでいることが分かり納得しました。「ワルキューレ」、「タンホイザー」、「オランダ人」などの旋律が聞こえますが、個人の贈り物ですから文句は言えませんが、全く関係ない我々にとっては、あまりありがたくない贈り物と言ったら言い過ぎでしょうか。ソロのヨス・ヤンセンはオランダ王国海軍軍楽隊所属で、音はいいのですが、速いパッセージで機動性に難があり、惜しいです。10分ほどの曲ですが、引用を含めて特に重要な内容ではないと思いますが、バストロンボーンのレパートリーとして今後重宝されるのではないでしょうか。 最後は、酒井格の「月明かりと渦潮」。2008年にソニー吹奏楽団の委嘱で作曲されました。題名の渦潮とは鳴門海峡の渦潮のことだそうです。曲は前半が月明かりを、後半は渦潮を描いているそうです。月明かりを描いた前半はマリンバのソロから始まりますが、この曲でのマリンバの使い方はとても有効です。静けさがよく出たイントロとそれに続く叙情的な旋律が印象深いです。後半の勇ましい動機とそれに続くメランコリックな旋律も、氏のメロディー・メーカーとしての特徴をいかんなく発揮していると思います。ただ、どんなに激しくても、どこか優しさがあるところが、氏の良さでもあり限界のような気がします。個人的には、氏の作品を聴くと、いつも青春のようなさわやかさを感じるのですが、言いかえれば大人になりきれない音楽と言ったら言い過ぎでしょうか。もっとも、現在の作風で売れているわけですので、そこに注文をつけるのは大きなお世話だとは思います。 ということで、曲を知るには十分ですが、演奏を楽しむには不十分という中途半端なアルバム。もっとも出版社は演奏を楽しむことには主眼を置いていないので、目的は達せられたと思います。表題曲や八木澤、酒井作品の本格的なプロ楽団での録音が早晩出てくることを希望したいと思います。From Ancient Times(de haske DHR 04-028-3)1.ケヴィン・ホーベン:ゴルゴダの丘への行進 ~ピーテル・ブリューゲル(父)に捧ぐ 2.広瀬勇人:ファンタジー~マリンバと吹奏楽の為の~: 第1楽章 アレグロ 第2楽章 アンダンテ・ミステリオーソ 第3楽章 テンポ・ルバート 第4楽章 アレグロ・エネルジーコ6.ヤン・ヴァンデルロースト:いにしえの時から7.ヤコブ・デ・ハーン):エレジー I8.八木澤教司:吹奏楽のための交響的詩曲「モーセとラメセス」9.ヤン・ヴァンデルロースト:バストロンボーンのためのバラード10.酒井格:月明かりと渦潮リヒャルト・ドルス(マリンバ)ユス・ヤンセン(バス・トロンボーン)オランダ王立海軍軍楽隊、ハルメン・クノッセンRecorded at Van Schaffelaertheater,Barneveld,Holland,during April 20-22,2010