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2022年04月29日
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最後に更新してからずいぶん日にちが経ってしまいました。

その間、母の行動はますます、炎上???エスカレートしてしまっています。
母のことを書くと「今日もハッピー」どころじゃないブログの内容になってしまいます。

母のことは、なんとなくソフトに、オブラートに包んで(これでもしょんぼり)書いてきました。
母のことを悪く書きたくなかったからです。
「私の勘違いだろう」とずっとずっと、子供の頃から、思いたかったのです。


母のことを書くのなら、別のブログを作った方が良いのでは?とも思いました。


でも、もうここに書こうと思います。
ハッピーな記事をお求めの方、申し訳ありません。
ハッピーな記事は、2006年頃、子ども小学生が、小学生だった頃の記事をお読みくださいウィンク

また、普通の感覚で育ってこられた方も、びっくりされると思うのでどうぞここまでにされて下さい。
信じられないと思いますので。
そもそも親の悪口なんか書くものじゃないです。
(と、いう方も)

ここから先は、同じような境遇の方でないと、理解や共感は無理だと思います。

読まれた方に不愉快な思いをさせてしまうかもしれません。ご注意くださいませ。

これから、しばらく
母のこと、嫌なこと、本当のことを書こうと想います。

母は、いわゆる毒親だと思います。

昨日、映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」を見ました。
主人公の友達が、主人公に、「自分から理解を求めよう」みたいな発言(ニュアンス?正確に覚えていません)をした時点で、見るのをやめました。
(子が変われば、親も変わるとか。。。)そんな簡単なものじゃありません。

その後、気持ちが沈んで眠れなくなりました。
そんなに、毒親は甘くないです。

私は、もう何年も何十年も母に理解して欲しくて寄り添ってきました。
どんなに嫌でも。

どんなに嫌でも「親だから」。子供として、それは「当然」だから。
母には、親には、精一杯優しく接してきたつもりです。

求められない時も、自分から手を差し伸べて。
優しく優しく。
投げつけられるどんなひどい言葉も我慢して。
母のことをわかってあげられるのは、世界中、私しかいないから。
母はこんな性格だから、誰からも愛されない、可哀想な人なのだから。
本当は良い人なんだから。きっと。

母は、きっと私のことを理解してくれる。。。
母は、きっと本当は感謝してくれている。。。

人に寛容、
それは、母が全くやってきていなかったことです。

以下、ほんの一例です。

おばあちゃんと同居の家を新築して
おばあちゃん(私の祖母、父の母)のトイレが臭いと言って怒鳴りつけていました。
ご飯の時、おばあちゃんだけ、呼びませんでした。
いつもおばあちゃんの悪口を大声で怒鳴っていました。
その様子を間近に見て聞いて、辛かったです。
母は、じきに祖母を老人ホームに入れました。
私はおばあちゃんにとっては、母といるよりむしろ幸せではないかと思いました。
老人ホームに面会に行っていたのは、いつも私たち夫婦だけでした。
おばあちゃんが、危篤になった時、病院に行ったのも私たち夫婦だけでした。

母は、実の母親の悪口もいつも言っていました。
小学生だった頃、母方のおばあちゃんがうちを訪ねてきたことがあります。
あなたは、大声でおばあちゃんを追い返していました。
母から、おばあちゃんの悪口をたくさん聞かされました。
おばあちゃんの寂しそうに帰って行く後ろ姿を今でも覚えています。
かわいそうでした。悲しかったです。
でも、その頃、母にそんなに嫌なことをしたのなら仕方がないのかな?と思っていました。
私にとって、母は、本当は優しい良い人でした。
おばあちゃんのお葬式に母は出ませんでした。
自分の親に、それほど嫌な思いを持っている母が、かわいそうでした。

父ともいつも喧嘩をしていました。
まだ小さかった頃、家の中で母が父と大喧嘩をしていたことを覚えています。
怖かった。
悲しくて、ご近所さんの家に逃げ込んだ?こともあったのを覚えています。
5歳までの記憶です。

その後も、父と母は喧嘩ばかりしていました。
そしてついにある年から家の中には一言の会話も無くなりました。
家の中は、いつも凍りついていました。
一番嫌だったのは食事でした。
母が無言で提供する食事。
父を呼ぶことはありませんでした。
息の詰まる食事。
私たちが食事をした後に、父が台所にきて食事をしていました。
それが10年以上続きました。

とにかく家を出たい、その一心でした。
大学は、遠い関東を選びました。
就職も東京でしました。

でも、地元に帰ってきてしまいました。

私は父が大好きだったんです。
父がそばにいて欲しい、というようなことを言ったから。

家庭が酷かったのは、母のきつい性格のせいで、父は私の理想の人だと思っていました。
母も性格がきついけれど、本当は良い人なんだから、、、と思っていました。
いえ、思いたかった。
きっとそばにいれば、みんなでハッピーになれると思っていました。

でも帰ってきたその日から「せっかく大学まで出してやったのに、なんにもならなかった!!!」
と母に怒鳴られる毎日でした。

「いくらかかったと思うんだ!」とも、何かあることに怒鳴られました。

私が夫と結婚したいと言った時、
母は、家中のものを私に投げつけました。
お相手が平凡なサラリーマンだったからだと思います。
母のプライドを満足させる地位ある職業でなかったからです。
「女なんて、大学でてもなんにもならない」
「いくらかかったと思うんだ!」
そして物を投げつけられる。。。繰り返し。。。

結婚後には、「あんたみたいなの、よくもらってもらえたね」
「所詮、〇〇の女房が。。。」
などとバカにされ続けました。

そして二言目には「財産が欲しいんかね?」と言われました。
何をしても。優しくしても。

それでも両親に尽くしてきたと思います。
なぜなら、
私は母のような大人になりたくなかった。
だから、母を拒否せずに、優しく接してきました。

どんな理不尽なことをされても。
言われても。
いやらしい考えを持っているんだろう?と心にもないことを疑われても。

親子なんだから、いつかきっとわかってくれると思っていました。

でも、アラカンとなり、もう、無理になってきました。
後、少しだから・・・とも思う気持ちもあります。

確かに、年老いた母のことが心配でないわけはありません。

でも、私の気持ちがもう耐えられなくなってきました。

どんなに両親のことを心配して尽くしても
今、母は、私の悪口を言いふらしています。

父がお世話になっている施設のこと、よくしてくださるケアマネさんのこと、全ての感謝しないといけない方々のことまで悪口を言っています。

弟には、私と仲良くするなと言っているようです。
弟は、地元にいないので、今まで、親のことは一切やってくれていません。
(たまに帰って泊まって行くだけ)
今まで、兄弟仲良くしてきたと思うのですが
「姉ちゃんに駅に車で迎えにきてもらっていることとか、話していることが(母に)バレたら怖いので。」などと言われ、傷ついてしまいました。

今、誰も相手にしてくれなくなって、母は、私の夫を電話で呼ぶようになりました。
そして、夫に私の悪口を言っているようです。

今日はこれくらいにしておきます。
では。
良い連休をお過ごしください。





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最終更新日  2022年04月29日 13時49分57秒
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