伯母の葬儀
伯母が亡くなりました。母の姉です。私は伯母が大好きでした。いつも笑顔で迎えてくれました。優しい声でした。美味しい料理を振る舞ってくれました。私は伯母の家が大好きでした。当然伯母の通夜、葬儀には母が来ます。私と仲の良い従姉妹です。事情を考慮してくれて、みんなが帰った後に時間をずらして伯母とお別れの機会を設けてくれました。伯母は90過ぎていたのにもかかわらず、とても美しいお顔でした。お化粧を施していないと聞き、とても驚きました。笑っているような穏やかなお顔でした。そろそろ帰ろうかと思っていたその時、従姉妹の兄(従兄弟です)が登場。母親とのことを、私に反省するようにという、話が始まったのでした。所詮、毒親のことは、誰に話しても基本的に誰からも理解されない話と思っていますから。この、ほとんど会ったことのない、伯母の長男に説明してもわからないでしょう。毒親ではない、通常の親に育てられた人には到底理解できない話なのは百も承知。伯母のようなあたたかい人に育てられた従兄弟の口から出る御伽話の世界。「ちょっとした言葉の行き違い」「親子なんだから話せばわかる」「年取ってから、そんな関係になるって悲しいね」そうなんだね。私が悪いって話なんですね。年取ってからそんな関係になるって悲しいね、って、あなたが思っている以上に、私は深く傷ついて悲しくて淋しいのですけれど。そんなこと言われなくても。当事者ですから。あなたに言い聞かされなくても。今までどれだけ傷つき悩み過ごしてきたか。そんな、話せばわかる親だったら、こんなことにはなってないのです。従兄弟の考えているようなわがままな子供の私が原因でこうなっているのだったら、とっくに解決できているんです。母が、わがままな子供だから、困っているんです。もちろん、↑このようなことは、従兄弟には話しません。話したとて、従兄弟たちの頭の中では、私がわがままな、親のことを少しも考えない困った子供なのでしょうから。母の悪口を言っているだけと思われるでしょうから。ニコニコして、あいづちだけ打っておきました。いっときも早くこの場から離れたい、願いはそれだけでした。親戚って、人の心に、無遠慮に踏み込んでくるとんでもない集団だということがわかりました。どうして皆さんは、悪口を言っている人の言うことを信じるのでしょうか。もちろん、私も人の悪口を言ったことはあります。でも自分の子供の悪口を人にペラペラしゃべりません。今回もう一つびっくりしたことがありました。別の従兄弟(母の弟の子供)が、母の家に通っているらしいのです。母の悪口の聞き役になっているようです。当然私は悪者です。どうやら通夜は、母の独演会(毒演会)だったようです。私は、親戚とももう会いたくない、と思いました。考えてみれば、そもそも同じ血の流れる集まりですね、親戚は。