春と修羅
宮沢賢治の『春と修羅』は、その途中から、(原文は縦書きなので)海の波のうねりように上下する不思議な改行によって描きだされています。この日記は横書きなので、また一風変わった改行リズムの印象が醸し出されてきます…… 春と修羅 (mental sketch modified) 心象のはいいろはがねから あけびのつるはくもにからまり のばらのやぶや腐植の濕地 いちめんのいちめんの諂曲〔てんごく〕模様 (正午の管楽〔くわんがく〕よりもしげく 琥珀のかけらがそそぐとき) いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を 唾〔つばき〕し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ (風景はなみだにゆすれ) 碎ける雲の眼路〔めじ〕をかぎり れいらうの天の海には 聖玻璃〔せいはり〕の風が行き交ひ ZYPRESSEN春のいちれつ くろぐろと光素〔エーテル〕を吸ひ その暗い脚並からは 天山の雪の稜さへひかるのに (かげらふの波と白い偏光) まことのことばはうしなはれ 雲はちぎれてそらをとぶ ああかがやきの四月の底を はぎしり燃えてゆききする おれはひとりの修羅なのだ (玉髄の雲がながれて どこで啼くその春の鳥) 日輪青くかげろへば 修羅は樹林に交響し 陥りくらむ天の椀から 黒い木の群落が延び その枝はかなしくしげり すべて二重の風景を 喪神の森の梢から ひらめいてとびたつからす (気層いよいよすみわたり ひのきもしんと天に立つころ) 草地の黄金をすぎてくるもの ことなくひとのかたちのもの けらをまとひおれを見るその農夫 ほんたうにおれが見えるのか まばゆい気圏の海のそこに (かなしみは青々ふかく) ZYPRESSENしづかにゆすれ 鳥はまた青ぞらを截る (まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる) あたらしくそらに息つけば ほの白く肺はちぢまり (このからだそらのみぢんにちらばれ) いてふのこずえまたひかり ZYPRESSENいよいよ黒く 雲の火ばなは降りそそぐ この詩のなかで3度横文字でZYPRESSENと記されているのが糸杉、サイプレスを表すドイツ語……宮沢賢治は“ツィプレッセン”と発音していたようです。 詩の冒頭に出て来る“諂曲〔てんごく〕模様”というのは、ゴッホの絵のなかでも描かれる唐草文様場の渦巻くエネルギー・フィールドにも通じており、天に伸び上がろうとする意志を巻き込み、個を個性なき多数のなかに埋没させようとする地上の力、現実社会のしがらみ,そしてそうした現世の力に巻き込まれ、自在を得ず、もがき苦しむ修羅としてのありようの表象でもあるでしょう。 そうしたフィールドの中で、ZYPRESSENは、ラピスのように深い群青の風が吹き抜ける、軽やかな天へと向かう凛然とした垂直の意志をみごとに表しています。 見田宗介氏は、賢治がここに糸杉でもなく、サイプレスでもない、ドイツ語のZYPRESSENを用いている理由を、「硬質の、重い切れ味をもった音価のドイツ語でなければならなかった」(『宮沢賢治──存在の祭りの中へ』)と述べていますが、まさに言い得て妙だと思います。 とりわけ日本のような高温多湿で微細なものが絡まり合っている諂曲〔てんごく〕模様フィールドを突破して、ラピス色の風が満ち渡る透き通った天空へと龍のように翔昇るには……(本来縦書きである『春と修羅』をこの日記のように横書きにしてみると、海の波ようなうねりがそのまま龍の身体のように見えるのも、不思議ですね) れいらうの天の海には 聖玻璃〔せいはり〕の風が行き交ひ ZYPRESSEN 春のいちれつ くろぐろと光素〔エーテル〕を吸ひ すでに『ゴッホと糸杉』を読まれているかたは、ゴッホが糸杉について述べたことばを憶えていらっしゃると思います。そう、確かに ZYPRESSENは“黒々とした緑、もっとも興味深いブラック”です。賢治もまた、それを「くろぐろと光素(エーテル)を吸い」と描写しています。 まばゆい気圏の海のそこに (かなしみは青々ふかく) ZYPRESSENしづかにゆすれ「人間というのは大気圏の底に棲んでいる生物だ」という感覚が賢治には常日頃からあるのですが、その大気圏の底の底で巨大な昆布のようにゆらめく ZYPRESSEN…… いてふのこずえまたひかり ZYPRESSEN いよいよ黒く 雲の火ばなは降りそそぐ 当時『白樺』に掲載されたゴッホの糸杉に、賢治は強く惹かれ、共振していたようですが、ふたりはともに時代の先へと突き抜ける感性を抱きつつ、社会適合の枠の外へと大きくはみ出して、ひたすら孤高の道を歩き通した先駆けたちです。 そしてこうした傑出した魂たちを捉えた ZYPRESSEN ……あるいは柏樹子たちのプレゼンスの深み……ビャクシン、糸杉、カイズカイブキという名では、どこかそれを充分に描きだせないように感じます。 黒々とした光素のかたまりである柏樹子たちに、また合いにゆきたくなりました。