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テーマ:世界を動かす国際金融(375)
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5月26日、HSBCホールディングスのジョン・ボンド会長が引退した。ボンドは1961年に香港上海銀行に入社してから45年間、HSBCという金融コングロマリットに貢献してきた人物である。 (ジョン・ボンド会長が退任)← 去年11月に書いたエントリ。 HSBCとは、香港上海銀行を中核とする金融コングロマリット“HSBCグループ”のことであり、持株会社HSBCホールディングス傘下の金融企業集団を表している。HSBCグループは、フォーブスによる「世界優良企業番付」で05年・06年ともに世界5位にランクされた超巨大グループであり、総資産でも首位シティグループに迫る勢いである。シティグループを抜き世界1位となる基盤と潜在力を持っている最有力はHSBCではないだろうか。 そんなHSBCについて詳しく書かれた『HSBCの挑戦』という本が出版されたので紹介すると同時に本書を参照・引用しながらHSBCという巨大グループについて私なりにまとめてみようと思う。香港上海銀行(以下、HSBC)の日本進出は1866年5月に開設した横浜支店が最初なので、HSBCが日本に進出してからちょうど140年という節目が2006年ということになる。1867年には長崎にも代理店が開設されているが、委嘱先は「グラバー商会」であった。 立脇和夫 価格: ¥1,890 (税込) 単行本: 184 p ; サイズ(cm): 19 x 13 出版社: 蒼天社出版 ; ISBN: 490191619X ; (2006/05) 内容(「BOOK」データベースより) 香港上海銀行の日本進出から140年。世界の一大金融コングロマリットとなったHSBCの輝かしい軌跡。創立から今日に至るまでの発展の原動力を歴史的に解明する。今後のHSBCの動向を知るうえで、参考となる一冊。 著者略歴(「BOOK著者紹介情報」より) 立脇和夫 1935年 島根県出雲市にて出生。 1959年 神戸大学経営学部卒、日本銀行、早稲田大学教授等を経て 2005年 経済評論家、経済学博士 第1章 HSBCの創立と発展 1.HSBCグループとは 2.発祥地は英領植民地「香港」 3.草創期の海外拠点 4.第一次大戦及び戦間期の試練 5.第二次大戦期の苦難と戦後の新戦略 第2章 第二世紀はM&Aを積極推進 1.ホームグラウンドの深耕 2.静かに燃やす中東戦略 3.新世界、北米での挑戦 4.母なる大地、欧州への回帰 5.未開拓の地、中南米・アフリカ 第3章 持株会社体制の確立 1.HSBCグループの形成と商号 2.持株会社、HSBCホールディングスの設立 3.持株会社の組織と機能 4.本部機構の移転と本部ビル 5.HSBCの買収戦略 第4章 HSBCと日本 1.日本進出は慶応年間 2.明治三年兵庫(神戸)支店開設 3.洋銀券をめぐり明治政府と対立 4.円銀・洋銀の平価通用で政府に協力 5.外債引受けで日本に貢献 第5章 新通商条約実施後の対日戦略 1.新条約実施と外国銀行 2.激動の大正期 3.昭和戦前期──臨戦体制から戦時体制へ── 4.戦時体制下の外国銀行 5.戦後の支店網再編と対日戦略 6.在日支店の業績と今後の展望 HSBCの歴史 http://www.hsbc.co.jp/jp/japanese/about/history_of_hsbc.htm 香港上海銀行の歴史は世界のトップクラスの金融機関のなかでも異彩を放つ存在である。19世紀半ば中国大陸沿岸の英国商人たちが中心となって、清国と欧州や北米との間の貿易にファイナンスすることを目的として香港に設立されたHSBCは、設立当初から、アジアの主要な金融機関として機能してきた。2004年末現在、HSBCグループは総資産1兆2768億ドルを擁し、77の国と地域に9700を超える店舗網をもち、25万人を超える職員を雇用している。2004年末現在の総資産は世界4位だが、基幹資本は672億ドルで、シティグループ、JPモルガン・チェースに次いで第3位となっている。 HSBCは香港で設立された銀行では最大であり、香港の発券銀行のなかで発行シェアは約63%である。香港ドル紙幣は香港金融管理局の監督の下、香港上海銀行、スタンダード・チャータード銀行、中国銀行の3行により発行されている。 スタンダード・チャータード銀行 中国銀行 HSBCは香港在留の英国商人が中心となって、1865年に香港で設立された。日本進出の前年である。1841年に香港植民地が発足した後、数年間は銀行はなく、貿易その他の取引は殆ど大手貿易商社自身によってファイナンスされていた。しかしながら、1860年代半ばにはロンドンやインドに拠点を置く、いわゆる“アングロ・インディアン銀行”数行が香港へ進出して来た。インドの金融中心地ボンベイの金融業者たちが、まもなく英国で勅許(チャーター)を得て彼ら独自の「バンク・オブ・チャイナ」をインドに設立するとのニュースが香港へ伝えられたときがきっかけで、香港でも自分たちの利益のためには自分たちが出資し管理運営する銀行が必要であるとの認識が広まった(1864年初め)。 このニュースは、P&O汽船の香港支配人トーマス・サザーランドを動かした。彼は後に、P&O汽船の会長、英国下院議員、それにいみじくも、(後にHSBCに買収された)ミッドランド銀行の取締役にもなった人物である。サザーランドは、スコットランドの銀行業に関する文献を参考に設立趣意書草案を書き上げ、数日後、設立準備委員会が結成された。 HSBC設立準備委員会の委員長には、サザーランドの推薦で、デント商会のジョン・デントが就き、委員には香港の主要な国際ビジネスマンが選ばれた。その顔ぶれは国際色豊かで、構成メンバーは、米国、英国、北欧の商人、ボンベイを拠点とするデビット・サッスーン商会、インドの貿易商社を代表するパーシー教徒2人も含まれていた。奇妙なことにジャーディン・マセソン商会と米系ラッセル商会は参加しなかった。ただし、両商会とも後に、取締役会に参画する。 香港上海銀行 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 1865年3月ユダヤ系英国人アーサー・サッスーン卿(ロスチャイルド一族のメンバー)によって香港で創設され、一ヵ月後上海で営業を開始した。主に在華外国企業(サッスーン洋行、ジャーディン・マセソン商会、デント商会などの阿片貿易商社)の貿易金融(阿片貿易で儲けた資金を安全かつ迅速にイギリスに送金することが主な業務)を扱ったが、1866年には日本支店も設立し、日本政府の金融顧問業務も行った。当時は香港に本社を置き、20世紀初頭には極東地区最大の銀行となった。商業銀行であるが香港の発券銀行としても機能した。 HSBC設立準備委員会は、1864年7月、設立趣意書を発表した。資本金は500万香港ドルで、これを2万株に分け、1株が250香港ドルとされた。 1865年3月、HSBCが設立され、設立準備委員会メンバーは、そのままHSBC取締役会メンバー(取締役)へ移行した。取締役会メンバーは、おもに英系有力商社の代表者たちで構成されていた。当初専任の取締役がいないため、経営の成否は頭取の手腕に大きく依存していた。初代頭取には、元パリ割引銀行香港支店長ビクター・クレッサーが任命され、ロンドン支店長には元ジルマン商会パートナーのW・H・バッカーが採用された。ロンドンの取引先銀行にはロンドン・アンド・ウェストミンスター銀行が選ばれた。 HSBCは、1865年3月3日、香港本店で開業し、4月3日には上海支店(支店長デビッド・マクレーン)が開設された。そして、7月にはロンドン支店が開設される。このほかロンドンには諮問委員会が設置された。香港の本店は香港島のクイーンズ街1番地に設けられ、今日までHSBCの本店ビルディングの所在地とアドレスは変わっていない。 HSBCは、創立以来の本拠地を常に戦略目標の最重要拠点とみなしている。その証拠に、1980年代に香港に建てられた新本店ビルには巨額の資金が投入され、ひときわ人目を引く存在となった。香港の支店網も急速に拡大し、1961年の61ヵ店から、2000年末には300ヵ店へ増加した。今日、香港の大人の4分の3はHSBCに口座を開いており、HSBCは香港で最大の銀行である(香港で第2の恒生銀行もHSBCグループである)。また、HSBCは、大きく変化する中国市場での拡張にも注力してきた。 1970年代の終わりに中国において、対外開放政策が打ち出されたため、HSBCは78年に「中国室」(後の中国統括本部)を設置した。84年には戦後中国で外国銀行として初の銀行免許を取得した。97年7月1日、英領植民地香港は中国へ正式に返還され、HSBCグループは中国本土との長年の絆を新たにした。 HSBCは97年に、人民元業務を許可された外国銀行第1陣のなかに含まれ、上海浦東支店で業務を開始した。99年までにグループの中国大陸での支店は9ヶ所に増え、00年5月、中国統括本部を香港から上海に移転し、中国総代表事務所に名称変更した。今日、HSBCは中国に12支店と6出張所を、恒生銀行も5支店・1出張所・2事務所を開設している。 01年にHSBCは上海銀行の株式を8%取得した。02年、中国第2の生命保険会社、平安保険に10%資本参加した。03年には平安保険の出資比率を19.9%とした。04年には交通銀行の株式を19.9%取得した。 HSBCが虹橋開発区内に市内5箇所目の支店オープン〔2006年6月1日掲載〕 東南アジアでは、94年にマレーシアにおける外国銀行第1号となる香港銀行マレーシア・バーハッドを設立。HSBCは、01年に台湾の投資信託公司を買収し、03年にシンガポールのケッペル保険及びイクエーター・ホールディングスの残余株式を取得し、完全子会社とした。 ※ 文字数がオーバーしたためコメントへ続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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