給食費を払わない保護者が増えているようだ。このニュースを聞いた時、生活に困っている一人親家庭、或いは生活保護を受けている家庭だとばかり思っていたのだが、とんでもない。携帯電話は使い、結構な車も所有している一般的な家庭だと言う。払わない理由がまた屁理屈で、義務教育だから払う必要がない...らしい。このような解釈をする親たちの子ども時代はどんなだったのだろう?更に義務と位置づける教育事態も受け止め方に相違が生まれて来たことも背景にあるのかも知れない。わたしは給食を知らないまま小学校を卒業した。藤枝小学校はわたしが入学した昭和37年当時から近代的な5階建て鉄筋コンクリート。トイレは水洗であった。プールは25mと50m二つがあり、運動場も二つあった。生徒数1000人を超えるマンモス小学校。藤枝西校とサッカーで有名な藤枝東校に挟まれ、直ぐ近くには蓮華寺池がありボートや釣りを楽しむ事が出来、山と豊かな自然に恵まれた大変環境の良い学校であったが、何故か給食制は導入されていなかった。皆それぞれの母親たちが日の出とともに朝食の支度とお弁当作りから一日が始まって行った。出来立ての温かいお弁当をランドセルに詰め、勢い良く「行ってきます」と家を走り出す子どもや、毎日のように遅刻して来る子どもなどもいた。教師や親の間で教育は義務なのだという言葉は一つも聞かれた事はなかった。教育というより子育てに近かった時代である。時計が11時を過ぎる頃になると子どもたちの腹の虫が騒ぎ出す。勉強より時計と睨めっこしている方が多かったと思う。お昼のチャイムが鳴ると同時に机の中から一斉に弁当箱が飛び出す。朝は温かかったお弁当も昼には冷たくなっているが、子どもたちの眼は輝いていた。おかずが何か気になる子どもがいたりして、この楽しい筈の昼食タイムがある子にとっては耐え難い苦痛になったのである。時間が経っても中々弁当の蓋を開けようとしない。他の生徒が気になってどうしたのと詰め寄る。先生は既に箸を動かしながら不思議そうに見つめている。そしてとうとうその女子は泣き出してしまったのである。隣の男子が思い切って蓋を開けてやると、何と高級食材で普段では全く口に入らない「鰻の蒲焼」だったのである。その女子にとってはそれが気に入らなかったのか理由は聞けなかったが、お弁当の中身が原因でいじめに合う時もあった。もし、学校が給食だったら、おそらくわたしは不登校にならなかったかも知れない。何故なら学校へ行けば飯に有り付けるから。給食費を払えないからと言ってその子だけ食べさせない訳にも行かないだろう。父は米が家にある時は弁当を作ってくれた。アルマイトで出来た金色の四角い弁当箱に真っ白い炊き立てのご飯とその真ん中に梅干が一つ。日の丸弁当である。それでもわたしは弁当を持って学校へ行ける日は楽しかった。おかずが梅干や鰹節だろうが、クラスの子どもたちの眼など気にもしなかった。父の愛情が一杯詰まった弁当でお腹が膨れあがる。昼休みは先生も一緒に遊そびに加わり学校中が子どもたちの笑顔で溢れていた。これが本来の学校の姿である。いじめのない学校など夢物語りに近いが、教育の原点は楽しく学ぶ事であると思う。そして給食が学校任せだと思ったら大きな間違いである。献立表が何故家庭に配られるのか、それをよく理解して貰いたい。昼食と夕食が重なってしまわないように賢い親であれば気を使うだろう。給食には目に見えない所で親も参加しているのである。子どもに「今日のお昼は美味しかった?」と尋ねて見るとよい。給食費の不払いがいじめにつながらないよう祈るしかない。