日曜の朝、誰もがのんびりと休日の朝を迎えていた。日本海は何処までも澄み切って、春の潮風が岸壁に打ち寄せている。そんな喉かな風景を一瞬の揺れが襲いかかった。能登半島を襲った巨大地震、震度6強の恐怖に住民は戦き震え上がった。幸いにも被害は最小限に留まった事が救いとも言えるだろう。しかし余震の続く日々を送る住民に本当の安心が訪れるのはまだ時間がかかるかも知れない。さて、このニュースをTVで知った時わたしは33年前の自分を想い出していた。静岡県の伊豆半島を襲った伊豆半島沖地震である。当時17歳のわたしは店内装飾などの仕事をやっており、徹夜明けでフラフラになった身体を休める為に事務所の二階に上がり、仮眠を取ろうとしていた。午前8時を少し回り掛けた時だったと思う。地響きとも獣のうなり声ともつかぬ、この世の者とは思えぬ音がうねりと共に襲って来たのである。眠る暇もなく飛び起き、揺れが少しずつ遠のいて行くのを確認しながら、恐る恐る一階へと降りた。立て掛けてあった看板類が折り重なるように倒れている。震源地は何処だろう?田舎(藤枝)は大丈夫だろうか...。現代のように携帯電話など無かった時代、とりあえず知り合いの家に電話を掛けてみたが、中々通じなかった。しばらくすると会社の上司がやって来て、カーラジオで伊豆地方が震源らしいというニュースを聞いたと知らせてくれた。わたしが生まれて初めて経験した大地震であった。阪神淡路大震災や新潟の中越地震など過去の大きな災害が思い出されてくる。自然は優しさと恐さの両面を持っている。賢い人間はその自然に順応しながら生きているもの。地球を人間で例えるとまだ小学生ほどだろう。悪戯盛りであり、行動も活発。そんな地球が咳をしたようなものだが、もし東京がこのような巨大地震に襲われた時、人はなす術もなく呆然と時の過ぎるのを待つだけになるのだろうか。一極集中型の日本の弱点が浮き彫りになり、我々の視点が根底から覆される時は必ずや来ると覚悟を決めておいた方がよいだろう。