1978年「勝手にシンドバッド」を引っさげてメジャーデビューを飾ったサザンオールスターズ。
この曲を聴いたとき「コミックバンド」かと思った。
早口で何を歌っているのか分からない。確かにテンポはよく、リズミカルではあったが、当初流行っていた曲は、世良公則&ツイスト「銃爪」「宿無し」、キャンデーズ「微笑み返し」、山口百恵「プレイバックPart2」、ピンクレディー「サウスポー」「UFO」、アリス「ジョニーの子守唄」、矢沢永吉「時間よ止まれ」、沢田研二「ダーリング」「抱きしめたい」「サムライ」、渡辺真知子「かもめが翔んだ日」、サーカス「Mr.サマータイム」、八神純子「水色の雨」、アン・ルイス「女はそれを我慢できない」、中島みゆき「わかれうた」、中原理恵「東京ララバイ」、桜田淳子「追いかけて横浜」、郷ひろみ「バイブレーション」、榊原郁恵「夏のお嬢さん」などである。
当時を振り返って見ると、サザンの曲が既成のジャンルに当てはまらないという印象を強く持った。
2ndシングル「気分しだいで責めないで」も同様にヒットしたが、やはりイロモノ的なバンドと言う見方を音楽業界のみならず、視聴者もそう思っていたに違いない。
しかしそれは3枚目のシングルで大きく覆されることとなる。「いとしのエリー」はR&Bの大御所レイチャールズがカバーをするといほどの名曲。
この1曲によって桑田佳祐の実力、サザンオールスターズというバンドの底力を見せ付けられることとなった。
以後、彼らは日本の音楽シーンに於ける最大且つ実力派ナンバー1の座を長年に亘り維持し続けるロックバンドとして成長した。
そんな彼らが無期限活動休止を発表。デビュー30年目を迎えるサザンに一体何が起こったのであろうか。
ソロはともかく、バンドの場合は3人以上のメンバーを揃えなければならず、バンド結成は以外と難しい。
個性豊かな気の合う仲間、そして最も大事な「音楽に対する方向性」が同じでなければならない。
誰でも最初はアマチュアからスタートするが、この時期にある程度メンバーがふるいに掛けられ、紆余曲折しながら、完成に近いものが出来上がる。
デビューしたては無我夢中で勢いだけで突っ走る。自分達の世界を創り上げることに没頭し、その中からヒット曲が出る度に喜びと達成感を味わって行く。
やがて時が経ち、気が付いて見ると自分達の方向性に僅かながらも食い違いが出ている事に気付く。
どんなに気を許し合った仲間でも、個々の意見を尊重し、受け入れなければならい時が来る。
今では伝説ともなったローリングストーンズが、デビュー以来一度も解散する事無くいまだに現役でいられるのは、カリスマ的存在のヴォーカリスト、ミックジャガーの影響が大きい。
バンドを揺ぎ無いものにするのはその中心にいるリーダーが人間的、音楽的に如何に優れているかだ。
ビートルズはリーダーが二人いたために解散に至ってしまったが、桑田佳祐率いるサザンは桑田が何処までミックジャガーになれるかだろう。
再び帰ってくるとは言っているものの、このまま解散なんてことにならないようファンの一人としてお願いするだけである。