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吾が輩は野良猫である

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2010.02.22
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カテゴリ:その他

俳優の三田村邦彦さんが歌う、必殺仕事人のエンディングテーマ「思い出の糸車」をわたしは今でも口ずさむ時がある。

歌謡曲はさほど聴かないたちであったが、この曲は大変気に入っており、当時レコードを買って毎日聴いていたものである。

先日、フジテレビで放映された人気時代劇の「剣客商売(道場破り)」を見たばかりであったから藤田まことさんの訃報は、不意打ちを突かれた傭兵の面持ちでニュースを聞き入った。

藤田まことさんは確かに癌を患ってはいたが、死に至るほどの致命傷ではなかったと聞いている。

ならば藤田さんの身に一体何が起こったのか・・・疑問が駆け巡ったが、「大動脈瘤破裂」という、死因で頷けた。

この病気は致死率が最も高いし、気づいた時は手遅れという非常に恐い病である。

これでまた、昭和を背負った俳優が消えた・・・。

昭和の伝道師と言われた名司会者「玉置 宏さん」がつい最近逝ったばかりある。

昭和歌謡史を語る上で欠かす事の出来ない、玉置さんは多くの名台詞を遺言として残して行った。

「ロッテ・歌のアルバム」も昭和を代表する歌番組だった。

この番組に藤田まことさんが歌手として登場していた事は殆どの人が知らないか記憶にないかも知れない。

昭和30年代後半、テレビがまだ高級品として扱われていた時代、お茶の間を独占していたのは「てなもんや三度笠」「お笑い三人組」「ひょっこりひょうたん島」「三バカ大将」だったりした。

わたしが6歳を迎えた頃、昭和37年に放映開始された「てなもんや三度笠」はテレビの娯楽性を確実にする人気番組だったと思う。

もの心ついた時に非常に強いインパクトを与えてくれたこの番組は、当時まだ録画という技術が確立されていない中にあって、生放送のリアルさを視聴者に植えつけたのではないだろうか。

もちろん見る側から捉えれば、テレビそのものが珍しい存在であった訳だから、その放送が生か録画かなどという発想は全くなかった。

寺の鐘が「ゴーン」と響き、神社の扉が「キィィー」と金切り声のような音を上げながら開く。

その暗い中から、三度笠で顔を隠した藤田まこと扮する「あんかけの時次郎」が颯爽と登場し、あの決め台詞を吐く。

「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」。

わずか30分という、短い時間に様々な個性を持った俳優や歌手、コメディアン達が登場しドタバタ劇を披露する。

「白木みのる」の余りの小ささに驚き、子どもなのかと疑問に包まれたことを思い出す。

藤田まことさんがこの番組で一躍人気者になった事は言うまでもないが、番組終了後、ブラウン管から姿を消してしまった。

1970年代に入り、人々の記憶から藤田まことの面影は消え始めていた。然し、その後彼は思いも寄らぬ復活劇を見せる事となる。

1973年に始まった痛快時代劇「必殺仕置人」。

彼が扮する「八丁堀同心・中村主水」はこれまでの彼のイメージを覆すものだった。

これによって藤田まことの時代劇が不動のものとなったのは確かであった。

藤田さんについて、この場で語るには時間が足りないし、言葉で表すことにも限界がある。

ただひとつ言えることは、もう「思い出の糸車は回ってくれない」と言う事。

藤田まことさんありがとう、そしてお疲れ様。

昭和の楽しい時代をありがとう。合掌。






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Last updated  2010.02.22 13:11:01
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