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吾が輩は野良猫である

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ルキシト

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2010.03.13
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カテゴリ:その他

食事に事欠くことが殆どない現在の日本は、飽食の時代と言われて久しい。

職や住む所を無くし、路上生活者(ホームレス)になったとしても、物乞いをするなり、ゴミ箱を漁るなどすればなんとか生きていける。

そんな中にあって餓死というニュースは余りにも痛ましい。

それが大人ではなく、まだ5歳の幼児だと言う。

此処は飢餓で苦しむアフリカの砂漠地帯ではない。

児童憲章とは一体何のためにあるのか?

この子どもの両親は保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されたが、これは育児放棄以前の問題であり、人間である事を放棄したと言える。

人間の皮を被った獣とよく言うが、獣は自分の子どもを殺したりはしない。

必死で我が子を外敵から守り、自分は飢えても子どもにだけは十分な餌を与える。

だから、この両親は獣以下である。

人間には子孫繁栄の為に子を産み育てる事がDNAとして組み込まれているが、高い知性を持った人類だけが心の中に悪魔を偲ばせ、やがて自制心を失い狂気に走る。

虐待の場合、被害者となるのは子ども、女性、老人といった「弱者」たちだろう。

全てが弱者ではないにしろ、表面化する人たちの共通点である事は間違いない。

DVは大人の女性が被害を受けるが、大人であるが故にその地獄から逃れる術がある。

しかし、幼い子どもに一体何が出来ようか。

介護の現場でもしばしば、耳にする老人への虐待も増えている。

仕事のストレスを発散するための行為かどうかは知らないが、抵抗出来ない者に対する暴力行為は、自分が弱いが故に自分以下の者に対し、苛めや暴力を奮って自分の存在を確認しているのだろう。

昨年発覚した虐待事例は335件と言われているが、それは氷山の一角でしかない。

誰かが通報しなければ、表面化する事はまずないだろう。

民主党が「子ども手当て」だとうつつを抜かしているが、それよりも児童虐待を如何に無くすかに全力を挙げるべきである。

例えば、児童相談所は24時間土日も関係なく相談窓口を開く。

家庭訪問を頻繁に行い、地域住民の協力も得て、月数回なり虐待について集会を開くなど風通しの良い、目に見える活動をするべきだ。

わたしは幼少の頃、父から数年間に亘り虐待を受けた経験を持っている。

過去にも何度か話したことがあるので、既にご存知の読者も多いと思われるが、ここで父に纏わるエピソードをもう一つ紹介しよう。

わたしが小学校5年生の時だった。

朝、学校へ行く支度をしている時、父が話しかけて来た。

「とし坊、今日は米が無くて弁当を作れないから、昼になったら家に戻って来い・・・」

弁当が作れなくとも幾らかの現金があれば、2,30円なり渡してくれ、「これで何か買え」といつもなら言うが、その時家には全く金がなかった。

「うん、わかった・・・」と俯きながら玄関を出る。

弁当箱の入っていないランドセルがいつもより重くて仕方なかった。

学校までは歩いて10分程度だったが、足取りは重く頭の中は昼食の事で一杯だった。

授業が始まっても、担任の言葉は一向に頭に入らず、時間が昼に近づくのが嫌で溜まらなかった。

4時間目の終了チャイムが鳴り響き、クラスメートたちは笑顔を湛えながら、各々の弁当箱を机の中から出し始める。

カラフルな色や形の弁当箱が一斉に机を占領し、そして蓋が開き、様々な献立のおかずの香りが教室中を漂う。

そんな中、わたしだけが俯いて必死にその場を堪えていた。

閉じた瞼は涙に溢れんばかりだった。

家に戻るべきか、このまま我慢しようか相当思いつめていたと思う。

そんなわたしの姿に不審を抱いた担任の青島先生が、「かんべ君、ちょっとおいで・・・」と声を掛けて来た。

泣いているのを見られるのが恥ずかしく俯いたまま、先生の傍まで行った。

先生は自分のバッグから財布を出し、数十円の小銭を他の生徒に気づかれないよう、そっとわたしの手に握らせてくれたのである。

わたしは俯いたまま、走って教室を出て、近くのパン屋に駆け込んだ。

涙に濡れた小銭とそして涙の味が染み込んだあのパンの味を今でも忘れない。

現代に足りないものがあの頃には当たり前のように存在した。

誰もが決して傍観者であってはいけない。

そう強く思えてならない。






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Last updated  2010.03.13 15:04:12
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