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吾が輩は野良猫である

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2010.08.16
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テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:その他
1945年(昭和20年)1月9日、神戸信夫(父13歳)は、自宅近くにある蓮正寺の境内で日向ぼっこを楽しんでいた。

 戦時中の正月がどのようなものであったか定かではないが、食料の配給下では満足に腹を充たす事など皆無ではなかったかと思う。

 藤枝では有数の資産家だった神戸家にとって見れば、戦争の影響による衣食住に困窮する事は全く無かったが、家族二人が南方へと出兵し帰らぬ人となっている。この二人の戦死は後に神戸家衰退の大きな要因となった。

 日当たりの良い境内に胡坐をかき、高級もののタバコに火を点け一点の陰りもない正月の空を仰いでいた。この頃から不良少年だった信夫は町内のガキ大将で有名だった。

 朝の静寂を切り裂く空襲警報が町中に鳴り響き、青い空を恐怖で震えさせる。神戸家はお稲荷さんを祭っており、その裏側に家族全員が入れる防空壕があった。

 藤枝市(旧藤枝町)の片田舎にも米軍爆撃機B-29が飛来したのである。東から西に飛来した1機のB-29は5発の爆弾を投下し去って行ったが、その目的は単に機体を軽くするためだったという。

 この空爆で藤枝町役場の職員十数名が犠牲となった。一発の爆弾が落ちた場所は、藤枝市役所の直ぐ脇であり、そこは戦後埋め尽くされることもなく戦争の傷痕として残されたが、いつしか湧き水によって鯉が数十匹泳ぎ、夏にはここで水浴びを楽しんだり、釣りをする子どもたちの憩いの場へと変わっていった。

 子どもの頃、父からこのような戦争の話をよく聞かされたが、当時(昭和30年代)の子どもたちの間で流行っていたのは「戦争ごっこ」。ただし、太平洋戦争ではなく「日露戦争」「日清戦争」が遊びのモチーフになっていた。負けた戦争より、勝った戦争で遊べと大人から言われていたのかも知れない。

 そしてやはり子ども時代によく口ずさんだ歌が「軍歌」だった。「ラバウル小唄」「麦と兵隊」などは強く印象に残っている。そしてもう一曲が「酋長の娘」、こちらは軍歌ではないと思われるが、当時のわたしはこの曲も軍歌だと認識していた。詞の内容がそのように思えたのである。

―わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人―

 この歌は「酋長」の部分が好ましい表現ではないとされ放送禁止歌になっており、現在歌われることはない。

 今年65回目の終戦を迎えたが、この戦争に直接間接を問わず多くの人間が関わって来た。人によっては、いまだ戦争を終わらせることが出来ず、悩み苦しんでいる人たちも多い。わたしたち現代人の生活の中にも戦争の影を垣間見ることがある。

 子どもたちがプールや風呂場で戯れ遊ぶ時に使う「水鉄砲」や冬になれば厚手のコートを羽織って外出するが、これは軍服がモチーフとなって今に至っている。人間同士が殺し合う戦争は絶対に避けるべきであるが、それ以外にも戦争と呼べるものは多くあり、いまだに「万歳」を叫ぶ日本人がわたしには理解不可能。

 戦争からわたしたちは一体何を学んで来たのか、本当の戦争の姿は何処にあるのか、もう一度歴史を振り返りつつ、後世に戦争の有り様を残し伝えて行かなくてはならない。





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Last updated  2010.08.16 13:50:04
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