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カテゴリ:つぶやき
原発事故以前、日本の原子力発電についてそれほど関心を持っていなかったが、人は出口のない袋小路に追い込まれて初めて事の重大さに気付く事も多い。その点から言えば、反省しなければならない部分は多々あるが、政府内の組織は複雑怪奇で理解出来ない事が多い。 事故発生当初から「東電」「保安院」「政府」の原発を巡る三つ巴状態の情報公開で混乱を極めたが、原子力の安全を司る機関の保安院自身が、地震発生後約一週間に及び「オフサイトセンター」から60キロ離れた山向うの福島県庁に避難していたという。 現場に一人も職員を置く事なくどうやって保安を担うのか、呆れた「保安院ならぬ不安院」と陰口を叩かれても仕方のない無能振りを露呈していた。 IAEAの査察で横やりが入った保安院を政府は今後、所属する経済産業省から分離独立する考えを示したが、規制と推進が同じ大臣の下で物事を進めていくこ と事態が大きく矛盾している訳で、適材適所とは大きくかけ離れた体制下では、迅速かつ的確な情報力と判断力を培う事は出来ない。 更には組織の幹部たちが天下る先が電力会社という、原子力を食い物にする「安全神話」とは程遠い問題点も指摘されている。 福島原発の1~3号機で起きたメルトダウン、メルトスルーについても保安院は把握していたにも関わらず東電と政府を巻き込んだ隠蔽合戦へと事態は拡大し、 事故発生から3ヶ月近く経った頃になって漸くその解析結果を公開するなど、リアルタイムな情報開示が求められる現代社会に逆行する形を辿るばかりである。 法の番人ならぬ安全の番人である筈の彼らが犯した「国民への不安」という十字架の重さを噛み締めて、尻尾を振る番犬に成り下がらないよう今後の行動を厳しく見詰めて行きたいものである。お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.06.16 17:03:18
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