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テーマ:プロ野球全般。(13399)
カテゴリ:音楽・スポーツ
師走の冷たい風が肌を突き刺し吹き抜けて行く。今年も余すところ数日となり、来年に向けて希望のカウントダウンが始まろうとしている。 そんな時、海の遥彼方から届いた一報は、冬将軍の到来を思わせるような「松井秀樹引退」、それは一つの時代が終を告げる鐘でもあった。 米国時間12月27日(日本時間28日)、国内では街の至る所で仕事納のサラリーマンやOLたちの忘年会などで賑わっていた。 クリスマスの余韻を漂わせつつ、街は人々をネオンの妖美に誘い込んで行く。38歳と言う年齢はわたしたち一般人からすれば全く若い部類に入るかも知れないが、スポーツの世界においてはやはり歳を取り過ぎたと言う事なのだろうか。 20年と言う野球人生に自らピリオドを打った松井秀樹の表情には、僅かながらの未練を残しつつも次のステップへ踏み出す希望の光も見え隠れしていたように思う。 ニューヨークのミッドタウンで行われた記者会見で、松井は言葉を一言一句噛み締めるように紡いで行った。 彼が公式の場に姿を見せるのは久しぶりの事でもあり、戸惑いと緊張感も連れ立ってその発する声は、か細く弱々しいものに思えたが、時間の経過とともにいつもの松井らしさが戻り穏やかな表情に変わって行った。 彼自身が言う通り、ゴジラ復活のチャンスはあったかも知れないが、結果的にシーズンが終わって見れば納得の行く内容ではなかった。 ファンの立場から見ればまだまだ松井の活躍を見たいのは当然かも知れないし、野球はメジャーだけでなく日本のプロ野球もあるのだから帰国して日本のチームでプレイを続けて欲しいと思ったりもするが、おそらく彼にとってメジャーが野球の最終地点だったのかも知れない。 そしてまたスポーツの世界は結果が全てを物語るし、そう何度もリプレイが通用するほど甘い場所ではない事を松井自身がその身体で十分理解していたのだろう。 今ここで松井秀樹の歴史を振り返れば、それは「怪物ゴジラ誕生」であり、そしてまさしく豪快なホームラン王として長きに渡りプロ野球界に君臨するのである。 わたし自身が最も記憶として残っているシーンは彼がまだ高校生だった頃のこと。1992年、夏の甲子園大会「星陵高校VS明徳義塾」の試合であるが星陵は敗退したものの「5打席連続敬遠」では、当時の高野連が急遽記者会見などを開き社会問題にまで発展している。 対戦相手の監督の口から「高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」と言わしめるその実力はプロ野球選手も驚愕するほどであり、常に彼の周りには多くのマスコミ陣が群がっていた。 デビューが華々しいほどそれとは対照的に引退宣言は引き波の如く時代を加速させるものであるが、輝かしい栄光と希望をその背中に刻み込み、バットに別れを告げる松井秀樹に「ホームランに花束を」と感謝の気持ちを込めて見送りたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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