メダルが涙に濡れる時。
7月27日に開幕し、17日間に渡って各種競技が行われたロンドンオリンピックが先日、13日に幕を降ろした。 参加国は204、約1万1千人のアスリートたちが参加し、26競技302種目に渡り熱い熱戦が連日行われ、時差の関係から日本では深夜に競技が行われる事が多く、テレビに釘付けになり寝不足に悩まされた人たちも多かったのではないだろか。 日本は、金メダル7個を含む合計38個のメダルを獲得し史上最多となり、日本国民に輝かしいプレゼントを齎してくれた。 これ程までに日本選手が活躍出来たのは、おそらく昨年に日本を襲った未曾有の大震災と、それに続き起こった福島第一原発事故で大ダメージを受け、その灼熱 地獄の中ら這い上がる日本人の不屈の精神力と最後まで諦めない一種の執念が多くのメダルを呼びこんだのではないだろうか。 世界に日本の底力を見せ付けた思いであり、なでしこジャパンは宿敵アメリカに惜しくも敗れたものの、内容的には一歩も劣らない金メダルにも匹敵するほどの銀メダルだったと思う。 男子サッカーも快進撃を続けたが善戦及ばず、3位決定戦で韓国に敗れメダル獲得には至らなかったが、未来の男子サッカーに希望を与えた事は確かである。 それにしても、オリンピックを政治の舞台に利用してしまう韓国には呆れ果ててしまったが、尖閣諸島や竹島などの領土問題が燻る中、これが韓国のやり方なのかと、余りにも下品なやり方を見て、如何にも韓国らしいと苦笑してしまった。 そして、わたしが最も注目して見ていたのが、女子卓球。わたし自身この重い病気の身でありながら唯一得意なスポーツが卓球だからである。 福原愛選手のファンでもあり、彼女が幼い頃から応援して来ており、一度でいいから冥土の土産に福原選手と一戦交えたいとさえ思っている。 シングルスは残念な結果であったが、女子団体ではなんと初の銀メダルに輝いた。これもまたなでしこJAPAN同様に金メダルに匹敵するほどの価値があると思った。 4年に一度開催されるオリンピックを幾度となく見て来て思うのだが、メダルを手に出来る選手はほんの一握りの選手たちだけである。 その殆どの選手たちはメダルに縁のない人たちだ。マスコミがスポットを当てるのはメダリストたちだけであり、その影には多くのアスリートたちの流した涙が溢れている事を忘れてはならない。 そしてまた、オリンピックが『平和の祭典』『スポーツの祭典』と呼ばれて久しいが、昨今のオリンピック裏事情を見ると、『金満オリンピック』と思えてなら ないのである。もちろん、オリンピックが齎す経済効果は莫大なものであるが、それを目当てに各国が開催地として名乗り出てオリンピック開催候補地がオリン ピック招致として金塗れになるのを見てしまうと、この何処が平和の祭典だろうと疑問を抱いてしまうのである。 メダルを獲って当たり前のオリンピック、それは本当の意味でスポーツの祭典なのだろうか?それが各選手たちにプレッシャーとなって圧し掛かりその結果、実 力の半分も出せないまま惨敗してしまうと言うのはよくある事で、今回では男子柔道がそれを如実に表しているのではないだろうか。 国民もマスコミも「メダル・メダル」と騒ぎ過ぎる。『オリンピックは参加することに意義がある』と言う有名な言葉は既に過去の遺物となり、メダルに執着するあまりメダルの為のオリンピックになり果ててしまったのである。 メダルはあくまでも目標や結果であり、スポーツ本来の精神を忘れてはいないだろうか。平和の祭典が真実ならば、世界一貧しい国と呼ばれている『バングラディシュ』でボランティアオリンピックでも開催してみればよい。