カテゴリ:ドラマ・映画について
<誰も知らない・公式HP> 誰も知らない 誰も気づかない ちいさな命 ちいさな出来事 手をつなごうよ 寄り添ってゆこうよ 生きのこった子どもたち いのちのような子どもたち 「人間は社会的な動物である」 家から出て、学校へ行き、友達を作り、社会性を獲得して、大人になってゆく。 そこに、「家庭」というシェルターがある。 そこから出て、そこに戻る必要があるだろう。 しかしいつまでも、シェルターにいる訳にはいかない。 また、帰るべき「家庭」が無くなってしまうのも、途方にくれてしまう話である。 人間にとっての「社会性」という問題。 「家庭」と「引きこもり」の問題。 僕たちはどう考えてゆけばいいのだろう? 「障害」という言葉に、とても引っかかってしまう。 小学校の頃「障害物競走」というものがあった。 走路に種々の障害物を置き、それらを越えて速さを競う競技。 (オリンピックでは、距離3000メートルの間に28個の障害物と7個の水濠(すいごう)を設置して行うそうだ。) 跳び箱や一本橋や網くぐりなどを乗り越えて、ゴールを目指す。 それはヒトが生きることにも似ているのだろうか? 家族であれば、子どもを励まし、子どもと共に学ぶ姿勢があったら良いだろうな。 家族であれば、当たり前のこととして、誕生日にはお祝いをして、互いのことについて感心を持っていて、いつだってちゃんと見ていてあげたいな。 家族であれば、共に手を取り合い、共に幸福を分かち合うという気持ちがあったらいいな。 ・・・そんな愛に満ちた家なら良いね。 「家庭に愛が必要であるように、社会にも愛が必要である。 愛のない家庭。愛のない社会。愛のない世界に住むものは不幸である。」 自分の不幸を知ることだ。 誰にも優しく出来ない。 誰にも与えることが出来ない。 誰にも挨拶することができない。 誰の誕生日も祝えない。 そんな自分の不幸を知ることだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年02月26日 06時33分36秒
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