テーマ:徒然日記(23323)
カテゴリ:日頃の想い
3年という月日は、長かったのか短かったのか、 人それぞれに思いがあるでしょう。 地震直後、福島に住む父と連絡が取れて安堵したものの、 姉一家、兄一家、親戚、友人たち、ブロ友さんの身を案じた時間。 地震と津波、原発事故の深刻さが次々と明るみになり、 悲しみ、不安、恐怖、絶望、怒り、やるせなさ、無力感、 衣食住不自由なくTVの映像を見ている自分・・・罪悪感。 様々な感情が渦巻き、 言葉では表せないものがあった震災からの日々。 「自分に何ができるのか」を 自問自答した人も多かったのではないでしょうか。 地震、津波、原発事故の三重苦に見舞われた福島は、 私が生まれ育った故郷。 放射性物質の雲(プルーム)が通過した際に 霙交じりの雨が降ったことが福島市にとって悲劇だった。 と語ったのは福大の教授だったか。 何も知らずに、その霙に長時間打たれた兄。 自虐ネタとして当時のことを明るい口調で話すけれど、 本当は不安でいっぱいだろうに・・・と思うと切なくなる。 線量が高かったので、一時避難でもいいから 少し落ち着くまで家に来てほしいと申し出たけれど、 年寄りに放射能は影響ないと言って留まった父。 そんな父が震災から半年後くらいに、 電話の向こうでポツリとつぶやいた。 ばあちゃん(私の母)は、原発事故を知らずに逝って 幸せだったがも知れねえな・・・ 早ぐ迎えに来てけろって仏様拝んだんだ。 震災の一年前に亡くなった母に迎えに来てほしいと言った、 いつも強気で、自由人で、俺様な父の弱気な言葉でした。 余震、原発、将来への不安などで 気力をなくした姪っ子を預かり、医師に相談しながら 心の平穏を取り戻すサポートをした日々。 一家で福島を離れた友人もいれば、残った友人もいる。 離婚と言う選択をしなければならなかった友もいる。 何が正しくて何が間違っているかなんて、誰にもわからない。 震災関連死した親戚もいる。 震災から数ヶ月が過ぎた頃から、 ブログに福島のことを綴る回数が少なくなっていった。 去年、一昨年と、葬儀のために2度ほど福島に帰ったけれど、 詳しい内容を書くことができなかった。 見聞きした現実が厳しければ厳しいほど、悲しければ悲しいほど、 あの日、あの時、過酷な状況を体験しなかった者が、 当事者ではない私が触れてはいけないと思ったから。 思い出すのは震災前の故郷。 ほんとの空がある美しい福島。 ブログの古い記事を読み返すと、帰省した時のことを 楽しげに、たくさん書いていたなぁ~って。 ガラケーで撮ったボケボケの写真が多いけど、 懐かしいから貼ってみた まずは食べ物。 美味しかった喜多方ラーメン 2008年8月、実家(古いほうの家)の庭。 花とトウモロコシがいっぱい!畑に続く細い道は、 夏、ヘビちゃん~>゜)~~~に遭遇する確率が高い・・キャー 山育ちなのに一番苦手な生き物がヘビちゃんである(^_^;) 2009年10月 遠くに見えるこんもりとしたお山は、 UFOが飛んでくる山として知られている千貫森。 2009年10月、医大10階からの景色。 遠くに吾妻連邦が見えます。 2010年1月、薄っすらと雪を被った福島駅前の花時計。 2010年1月、駅前のデパート。 2010年11月、朝の虹。 2010年11月、母が育てていた花 2010年11月、実家の柚子の木。 娘が、●●ばあばの柚子の木と名付けました。 2010年11月 『智恵子抄(ちえこしょう)』で有名な安達太良山(あだたらやま) 2008年8月、ヒマワリ目線で見上げた ほんとの空。 除染作業の際に、 庭の植物を刈り取って周りの木々の枝を落とし、 ばあばの柚子の木も伐採して姿を消し、 細い道の先にある畑で野菜を育てることもなくなりました。 震災を境に色んなことが大きく変わってしまったけれど、 今も、これからも、私の大切な故郷です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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