☆レッドクレーコートの思い出!☆
30年以上も昔は、テニスを教える前に、コート作りから、始めなければならなかった。沖縄では、軟式テニスが盛んで、コートは常にいっぱいだった、だから、学校のグランドの使用してない場所で、自分達で作る、予算も無いので、最小限のお金を出し合い、後は手作業軟式テニス部から、古くて使わなくなったネットを貰ったり、自分達で、鉄柱を加工して、ネットポストを作ったり草むしりをして、野球部からトンボとローラーを借りてきて平地にし、固めていき、ラインを石灰で引いて作った、その作業と同時に、大人のテニスサークルから、使わなくなったラケットや、フェルトの薄くなったボールを貰ってようやくテニス同好会が出来る、これを1年間続けて部活となる。どこかで、テニス部を作りたいって話があると、飛んで行き、手伝いをした、振り返ると、中部商業高校・首里中・大平高校(陽明)・首里高校昭和薬科付属高校・興南高校・城北中・中西中・浦添商業・読谷高校北谷高校・前原高校・普天間高校・松城中・南風原高校・真和志高校浦添工業・糸満高校・西原高校・那覇高校・小禄高校・石嶺中など、いろんな中学や高校でテニスコートを作ったり、教えたりしました、テニスコートを作ってる時に、ローラーをかけるのはトレーニングだって言って、リレー形式で、走らせていました、コートのネットが掛かる部分から、傾斜がかかるように、ちょっと山になってて、これを越える為には加速が必要です、生徒達は、頑張って引いていきます、ところが、ある子が、山を越えた所で消えてしまいました、慌てて、駆け寄ってローラーの前に行ったら、ビックリローラーの下敷きになって、女の子が笑ってるではないか?頭が、真っ白になり、ローラーを掴んで持ち上げ『早く出ろ!』火事場のくそ力とは、こんな事を言うンですね、一週間筋肉痛でした。後で試してみたけどビクともしませんでした、ほんと人殺しになる所、みなさん、ローラーがけは、トレーニングではありません、コート整備です、心を込めて、ローラーを押しましょう。