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●「I am the Light、私は光です」
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●告白
一連のパルス信号音事件(2023年)で、私は2つの「日にち」を知った。
(1) 2024年、2月23日と、
(2) 2024年、8月 5日。
パルス信号音は、「日にち」を示していた。
そのことは、第一回目のパルス信号音が、私の誕生日を示していたことでわかった。
で、同じように、1回目と2回目のパルス信号音も、「日にち」を示していると判断した。
しかもそれぞれのパルス信号音は、カバラの秘数術で構成されていた!
それについては、動画の中で詳しく説明した。
興味のある人は、どうかつぎの動画をご覧いただきたい。
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〇パルス信号音事件
4645【00 新追重】Pulsing Signals as Message from God+May 8th,2024神からのメッセージ+2024年5月8日
https://www.youtube.com/watch?v=823MnrCniR4
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で、告白。
私は、これらの2つの「日にち」をA4大の紙に書き、壁に張った。
私のいつものやり方である。
で、その下に、言葉を添えた。
これもいつものやり方である。
が、その言葉については、誰にも話していない。
ワイフも知らなかったと思うが、私の「心」は、熟知していた・・・と思う。
で、そこには、こう書いた。
英語で、書いた。
ここで告白する。
「I want to meet with you.」
正しくは、「I want to meet you」。
それくらいのことは、私でも知っている。
が、「I want to meet with you.」と書いた。
ていねいに、少しかしこまった言い方をするときには、英語ではそう書く。
「あなた様にお会いしたいです」と。
で、そのころ、つまりそのメッセージを書いたころの私は、・・・基本的には今もそうだが、悶々としたはがゆさを消すことができないでいた。
いつも私の心は、(生殺し状態)だった。
そこに神がいるはずなのに、手が届かない。
何という歯がゆさ。
何という孤立感。
そういた思いを、動画化したのが、つぎの動画ということになる。
発行日付は、2024年 1 月 6日になっている。
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〇The Long and winding Road
4582【09】Beetles'Long+Winding Road=Present day's Hymnビートルズの「長く曲がった道」=現代社会の讃美歌?
https://youtu.be/GfIrNbU4aHk
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で、それからちょうど1か月の、2024年2月5日の早朝のこと。
私は濃い、クリムゾンカラーの帯光を見せてもらった。
それについては、もう何度も書いた。
で、ここでは省略する。
が、それは2月5日のことだった。
2月23日ではなかった。
で、これは少しあとになってからのことだったが、・・・というのも、私は2月23日に、何かがあると思っていたので、2月5日については、注意を払っていなかった。
2月23日に、何も起こらなかったことを確認したあと、それが2月5日であったことに気がついた。
2月23日→2月2+3日→2月5日、と。
ここでもカバラの秘数術が使われていた。
つまりパルス信号音は、2月5日を示していた!
2月23日ではなく、2月5日!
繰り返す。
ここでいう告白というのは、ここに書いたように、「私はあなたにお会いしたいです」という文言を書いたことをいう。
●2024年10月6日
畑で苗を植えているときのこと。
ふと、帯光事件が気になった。
気になってそれを考えているとき、これまたふと、それに気がついた。
「上の人は、私に会いにきてくださっていたのだ!」と。
同時に、さらに気がついた。
「神は、光だった!」と。
しかもそれからほぼ、8か月!
ちょうど8か月と1日、10月6日!
上の方は、私に会いにきてくださっていた!
私は、ただの「光の帯」だとばかり思っていた。
が、それはただの「光の帯」ではなかった。
神、神自身の姿だった。
●聖ジェロームの絵
アンドレア・デル・ベロッキオも、レオナルド・ダ・ビンチも、『聖ジェローム』の絵を描いている。
が、それは聖ジェロームの絵ではない。
聖ジェロームに見せかけた、カイン自身の自画像である。
・・・と判断し、私は「あなた様にお会いしたい」と書きながら、同時に、その絵に表現されている人物の顔を思い浮かべていた。
つまり人間の肉体と顔をもった(神の姿)を思い浮かべていた。
いつもそう思い浮かべていた。
またその範囲でしか、考えることができなかった。
またその範囲を超えることができなかった。
が、神は「光」だった!
それに気がついた。
おかしなことに畑に苗を植えている最中に、それに気がついた。
神は光だった。
聖書に書いてあるとおりに、神は光だった。
神は、こう言っている。
「私は光です」と。
●静かな興奮
それから、今にいたるまで、私の心は静かな興奮に包まれている。
思いっきり叫びたいが、叫ぶことができない。
思いっきり泣きたいが、鳴くこともできない。
思いっきり感謝したいが、感謝することもできない。
が、心は不思議な安堵感と、ぬくもりに包まれている。
そう、神は光だった。
そして私からの申し出に応じて、2024年2月5日に、会いにきてくださった。
(2024年10月6日、夕刻記)
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