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カテゴリ:観たもの・読んだもの
6巻セットを一気に購入し、読書会に備えて着々と読み進めていた『ゲド戦記』。
サツキのじんましんで断念か…(T-T)と諦めかけていたら、夫が「午前中だけなら 仕事休めるよ~」と言ってくれた(≧∀≦) 家の事や子どもの事を優先するというルールでやるつもりだったけど、 遠慮なく甘えさせてもらっちゃいました(o^-^o) 私にとっては夫のフットサル同様、大切な場所なのだ。 夫よありがとう!(T∀T) 本当に嬉しかった。 メイも久々の保育室で大喜び。 アーシュラ・K・ル=グウィンが書いたこの壮大なファンタジー。 最初の一冊目「影との戦い」が出版されたのは、なんと1968年。 今から40年近くも昔なのだ。 そして71年「壊れた腕輪」、72年「さいはての島へ」が出版され、3部作かと思いきや 18年を経て1990年「帰還~ゲド戦記最後の書」、01年「ゲド戦記外伝」 01年「アースシーの風」が出版されて、全部で6部の超大作となった。 ル=グウィンはアメリカ人で、白人だ。 両親は文科人類学者で、当時迫害を受けどんどん虐殺されていたインディアンと 深く交流し、その素晴らしさを認めつつも、加害者の側にいることに傷付いていた。 父の口述を母がまとめた、カリフォルニア最後の原住民ヤヒ族の最後の生き残り、 イシについて書いた著書『イシ 2つの世界に生きたインディアンの物語』は 異文化を謙虚に尊敬する姿勢を世に示したものであった。 こうした両親の思いを、ル=グウィンが受け継いでいるのは間違いない。 この「ゲド戦記」でも白人は恐ろしく野蛮な人種として描き、登場人物のほとんどが 有色人種である。 今回の読書会でテーマになったのは、第一巻の「影との戦い」。 のちに大魔法使いとなるゲドの、幼少期から思春期、青年期が描かれている。 あらすじとしては、己のごう慢さや虚栄心から得体のしれない影を呼び出してしまった ゲドの、逃げても逃げても追ってくるその影との戦い。 最後にはそれがもう一つの自分だと認め、向き合い、合体することで乗り越えてゆく、 という物語。 ファンタジーではあるけど、「誰もが体験すべき青年期の自我確立の物語」と 今回の学習担当者、Tさんが言っていた。 なるほど~~!! どうりで読んでいて苦しいわけだ… 私はまだこの「青年期の自我の確立」やってない気がするもん…(=M=;) まぁそれはさておき、光と影は表裏一体、悪と善も同じで、それを受け入れる事が 大切だと作者は言っているみたい。 これって今日の読書会でも出たけど、宮崎アニメの全てに共通しているようだ。 宮崎駿は明らかに、ル=グウィンの(ゲド戦記の)影響をもろに受けている。 彼のアニメには、完全な悪も正義も存在しない。「ナウシカ」も「もののけ姫」も。 それこそが、ル=グウィンがアニメ化を許可した理由だったはずだが…。 そういうわけで、アニメ「ゲド戦記」のお粗末さが悔やまれる(らしい。私は見てないが) 悪の存在がいて、悪を倒してハイ、平和になりました~という感じらしい。 ル=グウィンや宮崎駿が一生懸命表現しようとしてきたことを、全て打ち消すような ひどい作品だという。 あぁ、息子じゃなくて、宮崎駿の「ゲド戦記」が見たかったなぁ…。 私はまだ読んでいないけど、ハリー・ポッターシリーズの作者も「ゲド戦記」の 影響を大きく受けているに違いないという意見が出た。 なんとかこの境地を目指しているけど、力不足でたどり着いてないって感じらしい。 この「ゲド戦記」という作品は、本当に大きな影響力があるのだな。 私自身はどうかと言えば、ひたすら影から逃げ、幾度も絶望を感じるゲドの旅が辛かった。 最後に覚悟を決め、立ち向かうため影をひたすらに追って行く時も、その決断が苦しくて 本当に辛かった。逃げ出したい気持で一杯。 きっと本当に自分の影(=悪)に向き合うとしたら、もっと辛いんだろうなと想像して しまって、尻込みしつつも「こうならなきゃ!」と痛烈に思う。 そうしなくては、私がここ何年かせき立てられている思い、 「本当は自分はどうしたいのか」が、いつまでたってもわからないんだと思う。 認めたくない影の自分がいることには気がついた。でもそれと向き合うのはまだ怖い。 どうやればいいかもわからない。 本当なら10代ですべきことなのかもしれないけど、逃げ続けてきちゃっているのだ。 だけどこのまま逃げ続けていては、いつまでも大人になれないんだと思う。 読書会では一番若くて未熟な私。 いつも読む本全てが自分の内面を見つめ直すスイッチになって、もがいてばかりいる。 でも他の人の意見や解釈、体験談を聞いたり、自分の気持ちを赤裸々に語る事で、 すこ~しずつ、すこ~しずつだけど前進していると思えるから、読書会はやめられない。 たぶんあとで考えると相当恥ずかしいことばかり言ったりしているんだろうな…(^_^;) でもそういうことを笑わないで真剣に聞いてくれる雰囲気の会なので、甘えさせてもらう。 仕方ない。これが私のペースで、これしかできないみたいだから。 古株のメンバーの方々はもっと先というか、次のステップというか、 「自己表現」したいというところまで行っているようだ。 文章を書いたり、歌や楽器、パフォーマンスで表現する別のサークルを作っているみたい。 私もいつかそんなふうに思えるようになりたいな。 誰に対してというのではなく、自分が表現したい!という衝動に駆られる時がくるといいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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