自分の人生が、あと6ヶ月だとしたら。
1年だったら。
5年だったら。
私は今日、ふとしたことからこれを真剣に考え始めたが、それによって
ものすごい発見をしてしまった気がする。
よく言うではないか。人生の目標は、1ヶ月、1年、10年、一生...
いろいろなスパンで持ちましょう、と。
考えてみればこれは、
「一生」生き続けることが前提となっているのである。
しかし、今日のこの「寿命」計画は、人生がそれぞれ
「そこで終わってしまう」場合の計画である。
これが、本当に興味深い結果を導き出した。
6ヶ月。
不思議だ。いつも自分について、考えすぎなほどに考える私だが
自分のことは、もうどうでもいいのである。
親のことしか出てこない。
・とにかく十分すぎるくらい、親孝行しよう
・有り金全部はたいて、親に使う
・仕事はすぐにでも辞めて、毎日家を手伝い、親を笑顔にし、
毎日親の肩をたたく
(そのために、マッサージを習いに行く、なんていう案まで出てきた)
・親を沖縄に連れて行って、、あの真っ青な海を見せる
...などなど。
お腹いっぱい親孝行して、はぁ~、満足!と、にこにこ天国の
門をくぐる私が、想像できた。最高に幸せな気分だ。
6ヶ月は、短い。自分のことは、どうなりたいとか、TOEIC何点取りたいとか
そんな選択肢は全て消え、本当にシンプルなものしか出てこない。
例えば、こんな感じである。
・自分が毎日見た光景を、写真や絵に残そう
・遠くへは行かず、家の周りの、歩いたことのないところを歩いたり
乗ったことのない路線のバスに乗ってみたりしよう
・洋服や持ち物は、2.3点を残して、全て貧しい国か困っている人へ
あげてしまおう。荷物のほとんどない状態で、いこう
・ヘッドフォンなんて、外してしまおう。毎日街の音や、自然の音を
いっぱいいっぱい聞こう
不思議だった。
現在自分が必要と捉え、最も時間を費やしているものが全て小さく消え去り
逆に小さいと思っていたものが、本当に大きなものとして心に迫ってきたのであった。
現在の時間の使い方を、見直す必要があるかも知れない。
さて、この後「1年」について考えたときが、感動的だった。
「6ヶ月の人生」を、考えた後なのである。
この「1年の寿命」が、どれだけ長く、素晴らしいものに感じられたか。
実に言いようのない、感謝と幸福感が、津波のように押し寄せてきた。
これは、やってみなければ、わからないかも知れない。
「1年も」あれば、今考えるたいていのことに、心残りない
「整理」をつけられるということに、気づいたのであった。
しかし、相変わらず自分のことは、少ししか出てこない。
家族とどこへ行っておこうとか、少し名画を観ておこうとか
最後の人生を彩る「心の豊かさ」を深めることばかりである。
あの仕事に就こうとか、これを学ぼうとか、自分の人生での「達成」を
考え出したのは、「寿命5年」になってようやくであった。
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さて。
自分は一体、あと何年生きるのだろうか。
半年と5年では、生きる人生が、全く違うことを知ったのである。
半年としても、なお自分のもとに残したものたちこそ、本当に
本質的に、私にとって大切なものであろう。それが、何かわかった。
しかし、同時にそこには、長期的なプランなど、存在していない。
今から5年以上、長く生きられるとわかった上で、叶えたいことも
この心には、あるようである。
私は自分の中で、あと何年、生きさせてもらえると仮定しようか、
そして、いったいどんな生き方を選んでいこうか...