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坂月の「日々成長」日記

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2006年06月12日
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カテゴリ:自分探しの旅

みなさん、こんにちは!お久しぶりです!!(^^ゞ

このブログ、開設してから1ヶ月以上、ほぼ毎日
更新し続けてきましたが、今回初めて、4日間も連続で
お休みしてしまいましたよ~。
書きたかったのですが、ちょっとバタバタしてまして(^^ゞ
いない間に訪問してくださった皆様、本当にありがとうございますm(__)m

けどけど、日々「悩める」坂月ですから、ネタだけはどんどん
蓄積しております!
今日から1週間分、一気に書きためられそうなくらい!(笑)

また今日からぼちぼち、「坂月節」(笑)、書いていきますから、
どうぞよろしくお願い致します!


それでは早速、本日の記事を。

 

■人生の、「目的」


より良くなって、○○になろう、じゃなくて
より良くなろうとすること、そのものが、人生の目的だとしたら?

私の心には今日、こんな考えが降りてきた。


-  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  - 

人生の目的は、「○○になりたい」という、たった一つの
職業
によって、言い表すことができるものなのだろうか。

今、目の前にあり、毎日時間と労力を費やしている、
自分が欲しいと思い込んでいる「小さな物質的価値」
(例えば資格や、TOEICのスコア、車や服などのモノたち)

人ひとりが「生きる」目的は、果たしてそんな表面的なものに
決定されるものなのだろうか。


なぜ、私はこんなに毎日いろんなことを考え、悩むんだろう。
将来のこととか、こんな私になりたい、人間としてどうあるべきか
なんて難しいこと考えずに、毎日なぁんとなく仕事して、
友達と恋愛話して、結婚して...ってやっている人だって
たくさんいるじゃないか。

そう思ったときに、こんなことを考えた。

もしかして。
その「より良くなろうと、悩み、考えること」そのもの
私が生まれるときに神様が私に与えてくれた「生きる目的」、もしくは
私だけの「使命」なのだとしたら?

*   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *


人は皆、きっと、生きる目的、その人だけの「使命」を
神様から与えられて、生まれてくるのではないだろうか。
そして、神様が一人一人に与える使命とは、おそらく
「職業」などの「形」ではない。
もっと、人生を通じて体現し、探し、そして悟るべき
大きな「徳」なのだ。


例えば、
「あなたはやりたい仕事に就いて、成功しておいで」と言って
神様は私をこの世に送り出したのではない。
「あなたは、人間や、心というものについて深く考え
より良くあるために、どうあるべきか、それを学んでおいで」
と言って、この世に送り出してくれたのだとしたら。


そうしたら、私は「何かになる」ためでも、「立派な答え」
出すためでもない。
こうやって、毎日「考えている」そのことで、神様がくれた使命を
立派に果たそうと、していることになるんじゃないか。


例えば、救命士になった人がいたとして
「あなたは救命士になりなさいね」と言って、神様はあなたを
この世に送り出したのではなくて、

「あなたは命の最前線に立って、命とは、そして
人の生きる目的とはどういうものか。それを考えておいで。
"命"について、学ぶこと。それがあなたの使命だよ
と言って、この世に送り出してくれたのだとしたら。


そうしたら、毎日生死を目の当たりにして、「命って何だろう」
悩んでいるかも知れないその人は、その難しい問いに答えを
出すことではなくて、今まさに行っている
「悩み、考えること」それ自体で、神様がくれた
「命について、学んでおいで」という"使命"を、既に立派に果たして
いることに、なりはしないだろうか。


だって、その使命を与えられなかった人は、そうやって
「"命"というものについて、考えることさえ、しないのだから。
そうやって考えて、悩むのも、それがその人だけに与えられた
であり、使命だからだとしたら。


そうだ。
この世で一人一人に与えられた使命は、きっと
「得るモノ」ではなくて、「学ぶもの」なのだ。

ある人は、「家族、そして親子の愛情というものが、どんなに
深いものか、学んでおいで」
と言われたかも知れない。
またある人は、「人間の心の底の貪欲さ、そして同時にその
美しさについても、学んでおいで」
と、言われたかも知れない。


さな存在
である、たった一人の人間は、きっと
短い一生のうちに、それについての明確な答えなんて
出せないかもしれない。
けど、この世で考え、悩み、自分なりの「何か」を見つけて
天に帰ったとき、きっと神様は

「よくやったね。」

と言って、迎えてくれるに違いない。

そして、次に生まれていく小さな人間に、また私が頑張って
見つけたところからの「つづき」の使命を、与えてくれるのかも
知れない。


だから、今、一生懸命、考えて、生きていること。
これこそが、小さなひとりの人間として、立派に使命を
果たしている、ということなんだと、思おう。






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最終更新日  2006年06月12日 22時40分16秒
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