私は、「ことば」というものを、大切に思っている。
「言霊」の力というものを、人知を超えた
もっと深いものだと思っている。
これは人間の作り出したものなのに、なぜだろう。
「自然」に、近い気がする。
風とか、大地とか、そういうものに、近い気がする。
たぶんこれは、人間の作り出したものでは、ないんだろう。
動物も、植物も、大地も風も、みなやっている
「オーラ」の動き、流れのようなものなんだろう。
人間のやっているのが、たまたま「言葉」として
人間の聴こえる音の範囲で、聴けるだけなんだろう。
だから、たとえ自分の言葉じゃなくても、
他人の言ったのや、ニュースや新聞や、何かの朗読でも。
「死」や、「生命を大切にしないことば」や、
「何かを損なったり、突き刺さることば」を
口にするのが、こわい。
発すること、そのものが、自然の均衡に
影響を与えるのでは、と、思ってしまうのだ。
きっとそのことばを発した瞬間に、まずまわりの空気に
その振動が、歪みが、伝わってしまうだろう。
その歪みは、波となって、流れとなって
小さくても、大きくても、この世界のどこかに
きっと伝わってしまうだろう。
それがどこかで、コップやお茶碗を割るかもしれない。
もしかしたら、誰かの心に、ふと影を
つくってしまうかもしれない。
どこかで犯罪や、事故が起こるかもしれない。
自分のこころにだって、きっと反響して消えないだろう。
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誰かが家から出かけるとき、つい護るようにと
「行ってらっしゃい」
「気をつけて」
と、声をかける。
ことばが、その人を護ると、聞いたことがあるからだ。
出掛けの「気をつけてね」
そのひとことが、オーラとなって身を包み、
その人を出先で終始、事故から護るというのだ。
江原さんの本だったかな。
ことばというのは、音のやりとりではなく
魂のやりとりなんだな。
静かに湧き出る、美しい泉のようなオーラを、流れを、
この身から発信できるひとになろう。