「仕事」にやりがいや、素晴らしい生きがいや、天職、
この仕事がほんとうに楽しい!そんなものを求める一方で、
「生きがいも何も、"仕事"とは本来、" 労働 "である。」
この考え方にも、納得するところが自分の中にある。
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あの宮崎駿氏が、こんなことを言っていた。
「昔はクリエイティブな仕事だなんて思っていたけど、仕事なんて
どれも同じ。毎日同じことの繰り返し。
毎日ただ描き続ける。変わらない。撮っても面白くもなんともないですよ。
毎日ラーメン作るのだって、毎日映画作るのだって、どっちも同じこと」
そうか、そうなのか...
広告、デザイン、クリエイティブだと思われる仕事ですら、
毎回毎回、新しいものを作り続けなきゃならない、その繰り返し。
(天才CMプロデューサー、杉山登志氏の物語を、先日テレビで観て
その思いも、やや強めた)
そうなのか...
毎日毎日同じこと、ありきたりさ、単調な繰り返しを恐れ
変化や、何かクリエイティブなものへの、曖昧な憧れを抱いて
これだという仕事を探す私には、こういう根本的なことも一度、
再確認する必要もあると思う。
仕事とは本来、繰り返しであること。
であれば、せめて好きなもの、自分の価値観や信条にあうもの、
そういうものを、その繰り返しに選ぶこと。
もしくは、新しい発見、日々の変化や自己の成長は、
自分自身が作り出すこと。
そういうことか...
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本当の流動的なクリエイティブは、芸術で発揮すればよい。
絵を描いたり、音楽を奏でたり、季節の変化や風景に心を動かし
それを自分の感性で表現すること。
芸術とは本来そういうもので、いつでも、誰でも、自由に
仕事とは離れた神聖な場所で、手にできる、発揮できるもの。
だから、「仕事」とは、別でよいのだ。
仕事にそれを求めるから、無理が生じるのだ。
そこにも、根本的な真実が、あるかも知れない。
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それでも、感性を使う仕事もあるにはあって
「芸術」とは別の、「仕事」としても、それに近いところでやっていきたいと
いうときには、それを使う仕事を選んでいく。
デザイナーとか、カメラマンとか。
でも、それはやっぱり、自分の感性や力を使いながらも、
人からお金を頂き、その人をうならせる高い質のものを
作り出すという「仕事」であって、
「自分の好きなものが作れない」
「人に求められる基準があって、自分の感性が発揮できない」
という葛藤は、「仕事」というものを
きちんとわかった人には、起こらないものなのかもしれない。
他の仕事と同じ。
自分の感性は、仕事以外の、「芸術」という場で開放・発揮し、
そして仕事に戻ってくる。
そのバランスが、大事なのかもしれない。
そして、バランスをとってきたその精神で、いい仕事をする。
人をうならせる、素晴らしいものを創り上げる。
あ、そっか。それが、「プロ」なんだ。
そんな、誰かにとっては当たり前かも知れないことに、
「繰り返し」について考えるうちに気づいた、今日の坂月だった。
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だとしたら、仕事とは、本当にすきっとした、シンプルなものなんだな。
(オマケ)
そんな坂月の父は、カメラマンもこなす、グラフィックデザイナーである。
これに関するお話は、また機会があったら(^^ゞ