世の中には、なぁんだか、人をすい寄せるように
思える人がいる。
何でなんだかわからないのだが、「好意」とか、
「明るい」とか、「いい人」とか...
そういうわかりやすいものではないのだ。
それなのに、何だかいろんな人とつながっていたり、
頼りにされていたり、知り合ってからの年月に関係なく
深い信頼を感じたりする。
坂月みたいな、人間関係やたらに広げようと
しない人種でも(笑)、なぜかすぅっとすい寄せられてしまう、
そういう人のことである。
なぜなんだろうと、考えた。
どうやら、気の利いたひとことを言えるとか、いつも笑顔だとか
挨拶ができるとか、そういう「表面的、単独な」
スキルをもつから、ではないようだ。
いや、それももちろんあるのだが、言ってみれば
もっと根本的な「ソウル」の在りようが、それらの
表面的な形質を、表に出させているという感じなのである。
考えたが、どうやらそれは
「人間関係に、興味がある人」
ということではないか、という気がしてきた。
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「人間関係を、大切にする人」よりも
「人間関係に、興味がある人」の方が、なんだか
しっくりくる気がする。
たぶん人間関係に興味があって、
それが面白くて大切なものだと、心の中で わかっていて、
その結果として、相手をよく観察できたり、自然な気のつかい方が
できたり、話をよく聞いたり、思いやることができて、
その接し方や発することばの中に、その姿勢が知らずに表れて、
受け取る側に
「なんかこの人、人をすい寄せる人だなぁ…」
っていうのを、感じさせるんじゃないか...
と、思う。
根本(こんぽん)は、スキルでもなんでもなくて
たぶん、「心」なのだ。
そして人には、その根本がわかってしまう。
絵に描いてみたけれど、
人間関係でも、たとえば
レストランの接客スキルを磨こうとするときも、同じだと思うんだけど、
どうしたら感じの良い人になれるか、すばらしい接客が
できるかと思って、表面の武器を増やそうと思うと
「言葉遣い」「挨拶」「笑顔」「気を遣えること」...
表面に出てくる矢印の数だけ、武器を身につけていかなきゃ
ならない。
これを持ってても、あぁ、あれが足りなかった...
何だかものすごく、いろんなことができなきゃいけない
気がする。
自分もいっぱいいっぱいで、多分相手との関係を
楽しんだりなんか、できないんじゃないかな。
そうじゃなくて、大切なのは、それらの矢印を
すべて生み出す、あったかいたったひとつの「ソウル」を、
心の中に持つことなんだ。
(絵でいったら、真ん中のオレンジ色の部分。)
そのソウルとは、「人間関係への興味」であったり、
「相手を大切に思う心」
「私と親しくしてくれて、ありがたいなぁと思う気持ち」
「この人と仲良くなりたいなぁ、という気持ち」・・・
そういう、自分という人間が、人間関係にたいして持つ
たったひとつの「心」のあり方なんじゃないかなぁ、と思う。
そして、そのたったひとつのあったかいものを
心に持っているだけで、無理に気を遣わなくても、
すべての矢印はそこから「自然に」表面へ、あらゆる方向へ
出てくるものなんだろう。
だから、賢さとか、器用さとか、そういうのに関係なく
その人が、あったかい人だなぁ、とか、信頼できる
人だなあ、とか、そういうのは、わかるんだよね。
根本が、表に、あらゆるところに、きっと表れてくるんだよね。
その根本とは、その人の「心」にあるものなんだなぁ...