2007年9月9日(奇しくも救急の日でした)、
私は「アナフィラキシー」※という症状により、救急車に搬送されて
遅れれば生死に関わるところでした。
異変を感じてから、みるみるうちの全身の症状変化を経て
激しい呼吸困難に至るまで、わずか10分足らず。
今思い返せば、恐ろしいまでの全身の急激な変化でしたが
その時は、怖がる暇もないくらい、あっという間の
出来事でした。
発作時の状態と、その後の医師の話から考えると、
家族が家にいて、救急車を呼んでくれなければ
一人で電話をすることもできず、あのまま
気道閉塞による窒息か、血圧低下による心停止で
命を落としていた可能性もあったようです。
とにかく、救急車の到着を待てないと感じるほどの
信じられないような時間でした。
※アナフィラキシーとは...(ご参考までに)
メルクマニュアル医学百科 アナフィラキシー反応
アナフィラキシー
財団法人日本アレルギー協会 特集 アナフィラキシー2004
その時の刻一刻と変わる全身症状、
目に焼きついている光景、その他については、
今後まずない(だろう)と思われる体験と思いますので
今後機会があれば、書いてみたいと
思います。
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この歳で、「命の恩人」ができました。
もちろん、救急車を呼んでくれた家族然り。
あのときの救急隊員の方々。
運び込まれた病院で処置をしてくださった、
救急の医師始め看護婦の方々。
救急処置により、落ち着いた後も
数時間以内に2、3割の確率で起こるという
症状の再発を経過観察するため、
移されたICUで1泊入院となりましたが
その夜、そこに運び込まれた人たちの
人生の一幕にも、何かの縁あって交差しました。
何だか、考え方が少し変わったように思います。
世には小麦粉、卵などに同様のアレルギーを持った
方々がいらっしゃいますが、
その方たちが食物を選ぶのに、どれだけ大変な思いを
されているのか、その片鱗だけでも垣間見た思いがしました。
まるで当たり前の出来事のようですが
今日生きていること、何もないこと、
健康であることや、家族、友人、親しい人と
笑顔でいられることが、どれほど「普通」でないことか
健康で大きな病気もしたことのなかった私は
ほぼ初めて、改めて意識したと思います。
これを機に、人生観が一変したのだなどと
偉そうなことはとても言えないのですが
今日は、会社の人、周りの人や出来事を
いつもと何か違う、穏やかな心で見ることができた気がします。
体調が万全ではないので、復帰した仕事から
今日は早めに帰宅しましたが
自宅で家族と食べた夕飯を「ごちそうさまでした」
と言ったとき、涙が出てきそうなしあわせを感じました。
とてもおいしいごはんでした。
この体験、気持ちを忘れたくありません。
またとない貴重な体験として
今後も大切にしていきたいと思います。
(まず、忘れられないかも知れませんが…)