この本を読んでます。
「セドナメソッド」で
感情を手放す、を試し中です。
感情を手放す、というと、感情なんて持たない
仙人みたいな人を想像しますが、そういうことではないです。
むしろ、自分が今まで押し込めて
見ないふりをしていたネガティブな感情も
一度向き合って、じっくり感じてあげて、
だからこそ手放せる、ということみたい。
これはあくまで私の感じる例えですが
おばけに似てるのかなと(笑)
逃げてると、どこまでも追ってくる。
でも、向き合って、何か認めてもらえたり
恨めしく思っていた気持ちが解き放たれると
成仏できる、みたいな(笑)
いいなという感触があります。
というのも、「引き寄せの法則」に関する本をたくさん読んだのですが
引っかかってうまくいかない部分があって
心の中にマイナスの感情があって
それにふたをしたままだと
「プラス思考」とか、「いいものを引き寄せる」という試みが
うまくいかないんですよね。
でね、私が手放したい感情っていろいろありまして。
「人に認められたい」という欲求も、その大きなひとつですね。
例えばこのブログもそうかな。
実は本当は、もっとブログをたくさん書きたいと思っている。
いつも「書きたいな、書きたいな」と思って生活している。
書くことが好きだし。
でも今せいぜい月1回かな。
時間が取れないというのはおそらく本当の理由ではなく
たぶん「面白い文章を書きたい」という気持ちが強すぎるのかな、と。
それで、読んだ人に面白いと思ってもらいたい
認めてもらいたい、みたいな気持ちがあり、
また自分はこうして書くことがとても好きなため
いざ書くのなら、自分なりに納得できる文章に練り上げたいという思いが強いため
気楽に5分とか10分で、簡単に、その日にあったことを適当に書いて更新、
ということができない。
まぁブログはひとつの例ですが
そんな感じで、自分自身で作り上げたいろんなルールに
気がつくとけっこうがんじがらめになってることが多くて
でもこの本はこういうことを言ってます。
私たちは感情を握りしめ、握りしめているのが自分だということを
忘れてしまいます。そのことは言語からもわかります。
怒りや悲しみを感じているとき、「私は怒りを感じている」
「私は悲しみを感じている」とは言いません。
「私は怒っている」「私は悲しい」と言います。それに気づくことなく、
自分=その感情であると誤認してしまうのです。
しばしば、感情と自分が一体であると信じこみます。
これは真実ではありません。主導権を持っているのはいつでも、
感情ではなく、私たち自身です。
感情を握りしめることも、手放すことも自由なのです。
では目指すところは
感情なんて持たない、もしくは感情になんて振り回されない
神様みたいな人になることなのか?
それは違います。
逆に、自分が持つどんな感情も、これからは抑え込むのではなく
ちゃんと向き合って味わって感じることができるようになる。
そして、手放せるとわかっているからこそ
この先生きていく上で、怒りや悲しみ、自分が先へ行くのを
自分で妨げるようなどんな感情を持つことがあろうとも
それを恐れる必要がなくなる、ということだそうです。
素敵ですね。
この先の人生をずっとともにできる素敵な道具のようですので
じっくり練習してみたいと思います。