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カテゴリ:ひとりごと
昨日日記で紹介した「わがままな母親」の中にも<愛されぬ理由を見抜く植木>と言う章があり、その通り!、とうなづいてしまいました。うちに来た植木達は日に日に元気がなくなっていくのです。水を揚げていない訳でもないのに、ハラリ、ハラリと葉の落ちていく様子を毎日見るのは、低温火傷の様にジワリと気付かぬ所でストレスとなります。そしていつの日にか枯れ朽ちて、その鉢を捨てるのを避けたいが為に、今では自分から鉢植えを買うことはありません。 大橋歩さん著「くらしの一日一日」の中の<切り花は内、根つきは外に限る>の章では、家族以外の生物と暮らすのが嫌だからだ、とあり、私もそんな気持ちでいるのかもしれない事を植木が感じ取るのかしらとも思ったりしました。 いただき物のバラの鉢植えにはもう花がありません。今日も又一段と葉が減ったその鉢植えに水をあげます。大橋さんのエッセイの締めくくり、切り花なら時々部屋にあってよい。アハハハハ。その内枯れるもの。居すわらないもの。・・・・と達観はできていない私。どうして枯れていくのだろう、とウジウジと思ってみたり、観葉植物が青々としている部屋を羨ましげに眺める事もあります。 でもやっぱり部屋に置くのは切り花かな。茎だけになったバラが恨めしげに思っている気がします。この鉢植えを下さった方の言葉がうつろに思い出されます。 「上手くすると来年も花をつけますよ。」 P.28 切り花は内、根つきは外に限る くらしの一日一日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月07日 14時26分53秒
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